HOME > 前川日記 > 前川日記2016.8.11.~31.8月だ。<「嘗て東方に国ありき」 8月15日はどう記録されたのか>再掲+戦後を問い直す時の是非もの「日本アパッチ族」(小松左京)のこと、これも再掲。白井聡<「物質」の蜂起をめざして>を読む・・・「知」にも体力が必要だ。

前川日記

8/11(木)

今朝も歩く。
明日から2日間ゴルフだから無理をすることはないのだけど、ゴルフのウォーミングアップとしてウォーキング。そのウォーキングのためのウォーミングアップが必要と言われると、なんだかややこしい。
今朝は、曇天で暑さはそれほどでもない。公園の街灯が点いている。朝が少しずつ遅くなっいる。蝉の声、にぎやか。

放送人の会関係のメール数通。「前川日記」、8月の①アップ。
他はほとんど何もせず。

8/12(金)

長女次女の夫たちと御殿場でゴルフ。一泊して明日も。
多少の渋滞はあったけど、早めに出たので大分早く到着。スタートを早めてもらった。薄曇り。気温も上がらず、気持ち良かった。
ゴルフ場内のホテル一泊。

8/13(土)

早いスタート予約していたのだが、渋滞で遅れる人たちがいてさらに早いスタート。
今日も乾燥して風が気持ち良い7月の御殿場の熱さが嘘みたい。
夕方早く帰宅。


8/14(土)

「若者よ、再び銃を取るな。母親よ、息子を戦場にやるな」とは、今の社民党の前身、日本社会党の左派のリーダーだった鈴木茂三郎の演説だと記憶していた。
今、このフレーズは悪くない。そう思って、ちょっとウィキペディアを覗いてみた。<1951年に日本社会党委員長に就任した際の党大会で、最終日の1月21日、委員長就任演説記録に「若者よ、再び銃を取るな」とあり、世論の強い支持を受けた>とある。しかし、「母親よ、息子を戦場にやるな」という言葉は出てこない。「若者よ」と「母親よ」はセットとして語られたという記憶は強く残っている。1951年と言えば、10歳だ。小学校4年生が社会党委員長の演説を聞いていたとは思えない。後にどこかで聞いたか読んだか、したのだろう。いずれにせよ「若者・・・」と「母親・・・」はセットなのだ。

「『物質』の放棄をめざして レーニン<力>の思想」より。
読書の集中力が落ちていて、一挙に読めなくなっているが、ともかく継続している。
レーニンと現代思想との関係という論点は新鮮だ。ちょっと驚きながら読んでいる。


「今日、人が政治的立場を選択する際には、自由民主主義の枠内において、新自由主義、リベラリズム、民主主義のいずれに相対的な重心を設定するかという選択肢があるに過ぎない。それは、言うまでもなく、選択肢の根本的な不在を表している。既存のすべての選択肢を拒否し、それらの<外>にあるものを探求することは、理論の本質的な役割である。ソ連の崩壊以来、急速に忘れ去られたのは、このことであった。」

そこから民主主義とは何か、あるいは民主主義と議会主義の関係、などなどについて問い返していくことを通して、<政治>あるいは<権力の構造>を解き明かそうと試みる。
今「政治的であること」とは、そういうことであるという点で、同意する。戦後史の最大の事件は<ソ連邦崩壊>だと思っているので、まことにそうだと思う。
特に、<民主主義>と<暴力/暴力の収奪>、そして<コミュニケーション>という関係は、まことにデリケートな、しかし政治というものの根底にある問題なのである。政治における<コミョニケーション>の問題は、政治の主体者における意識と組織の関係に関わるものであり、それは、民衆は支配者になりうるか/(論理的に)なりえない、という構造と表裏の関係にあるのであろう。

レーニンという、些か困惑するような切り口から、現代思想を剔抉して見せるところに白井聡という若き学者・思想家の魅力と可能性が見えてくる。
論壇というか時評というか、現在の政治状況を語る彼の語り口は魅力的であるが、その根底にこのような理論的蓄積があることを知った。白井聡の発言に共感するならば、この一冊を読むと良い、そう思う。

8/15(月)「嘗て当方に国ありき」

8月15日だ。
FBに、その日の過去にアップした記録が通知されてくる。そこて背思ったのだ。
この日にアップされた、作家たちの日記に記録された8月15日を、毎年再掲することには、それなりの意味があるだろう。
<「嘗て東方に国ありき」 8月15日はどう記録されたのか>
http://hosojin.com/a-blog/special/entry-184.html


もう一つ、この8月15日に「日本アパッチ族」のことを書いておいても良いだろう。2013年に書いたものの再掲だ。リンクで跳べないので、以下にコピペ。
・・・大阪水上バス“アクアmini”は大阪城公園を出ると間もなく寝屋川の本流に合流し、少し下って天満橋をくぐると中之島が近づいてくる。大阪の地理に疎いが、そのくらいの地名は知っている。 ふと、こんな歌を思い出した。
  『梅田ちょいと出りゃ天満橋 二人そろって中之島・・・』
なんでこんな歌を知っているかといえば、小松左京の傑作「日本アパッチ族」(1964年 光文社)に登場するからだ。物語では、大阪城に近接する元砲兵工廠が爆撃によって廃墟と化したその土地で、生き延びるために鉄を食う人間?として出現したアパッチと呼ばれる集団が、大阪市中にそして後に全国に広がる第一歩としてこの土地から出ようとするときに、景気づけの歌として歌われる、軍歌のような革命歌のようなものなのだが、それがこの“梅田ちょいと出りゃ・・・”というところに小松左京の、あるいは大阪人の可笑しさがある。(アパッチとは、そもそもその地域で屑鉄を広い売り歩くことで戦後を生き抜いた人々を称していたという。)

主人公木田福一がまだ人間だったとき、「失業罪」でこの廃墟に「追放」されるところから物語は始まる。失業罪!?
小松左京はこう書いている。
「(憲法)改正が決まると、第九条だけでなく、烏を鷺と言いくるめて、ついでのカマに、旧憲法の基本的人権を、新憲法においては秩序の名のもとに大幅に制限した。新しい時代なのだ―――とエライさんは言った。・・・旧憲法の『権利』という言葉の八十パーセントが『義務』と変わったおかげで、失業は刑法上の罪となった。」

「日本アパッチ族は」1964年に書かれている。近未来小説ということを考えれば、舞台は50年後くらいの日本ということになるだろう。つまり、2014年頃、ほとんど<今>だ。くり返して言うが、これは間違いなく傑作である。それはSFの先駆的作品としてだけではなく、戦後文学の特筆すべき作品だと思う。小松左京は「まえがき」にこう書いている。


<こうして、私は「アパッチ」の物語を書こうと思い立った。それはもはやあの屑鉄泥棒のことではなく、無秩序なエネルギーに満ちた、「廃墟」そのものの物語である。同時にそれは小奇麗に整理された今日の廃墟の姿ではなく、廃墟自身のもう一つの未来、もう一つの可能性なのかもしれない。―――この荒唐無稽な、架空の物語は、私の中になおも頑強に生きつづけている「戦後」なのである。>私たちが失ったのは、その「もう一つの未来、もう一つの可能性」としての「戦後」なのではあるまいか。そして、その代わりに手に入れたのが「フクシマ」だとしたら・・・。
戦後史の再点検はこうして始まるべきだろう。

もう一ヶ所引用しよう。
(アパッチ化しつつある記者浦上と既にアパッチ化してしまっている私=木田の会話)

「おれの失ったものが、どんなに大きいか、きみにわかるか?――記者としての仕事、巷で飲む酒、友人、―― 恋人・・・・・・アパッチに何があるんだ?要するに汚らしい“鉄食い”じゃないか?」
「今、アパッチである連中は、たとえ人間であっても、そんなものは味わえなかったか、ほんのちょっとしか味わえない連中やで。―― 一生人間として生き延びても、死ぬまでに結局わずかしか人間的喜びを得られなかったということを悟った連中や――きみらは、中途半端に貧しいだけで徹底的に貧しゅうないから、そんな連中のこと考えへんかったやろ」私は冷たく言い放った。
・・・・・・
「だけど、――アパッチになることは、結局人間としての多くのたのしみや可能性を失う不幸だ」
「不幸?」私は思わず声が高くなった。「きみにとっての不幸は、おれにとっては普遍的状態や。おれたちには、きみがこれからなろうとしている状態が基本であり、出発点なんやで」
まるでマルクスの「ユダヤ人問題によせて」を読んでいるみたいだ。

そして、小松左京がさらに凄いのは、エピローグでアパッチの指導者二毛次郎(ジェロ・ニモ)が後に独裁者として批判されることになると書いていることだ。これは言うまでもなくスターリン批判の反映であり、89年のソ連崩壊とそれに続く東欧圏解体の先取りである。
だから、「日本アパッチ族」は戦後文学の特筆されるべき作品といったが、ここで小松左京は世界史の地平に立っている・・・言い過ぎかなぁ…いや、そのくらいの価値はある、と思っている。
どのような想像力も時代と向き合うところで成立するのだ。
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この日午後、ホープさん宅。
アレコレよもやま話。ご本人よりさらに10歳年長の姉上の介護の日々の中では、そういう時間が必要なのだろう。
ワインを飲んでとりとめのない時間は、こちらも悪くない。

8/16(火)

町田市民病院で、腹部MRI検査。
後期高齢者になってTBSの健保の資格がなくなったので、こちらで観察治療。
6月に同じ検査をしたデータを提供したのだが、やはり独自に検査をする。それはそれで、良いことなのだろう。明後日は内視鏡。ちょっと面倒な気もするがしょうがない。検査を終わって遅い昼食を町田小田急で。
検査前に造影剤を飲む。「お中がゆるくなるかもしれません」といわれたが、今までそんなことはなかったが、今回はそのせいだろうか、夜8時過ぎにトイレに行き、早めにベッドに入ったのだが、夜中から明け方にかけて数回。造影剤のせいか、それとも昼のオイスターのオリーブオイルのせいか。
どうでもいいが、土曜日からの旅行に差し障りがないといいのだが。
台風接近で庭の鉢やベランダのものを移動させ、シャッターを下ろす。

8/17(水)

腹具合はどうやら落ち着きそう。
台風が過ぎて晴天。週末から大阪京都旅行なので、今のうちにと思い、洗濯。
オリンピック、女子卓球、女子バスケ、など。

8/18(木)

町田市民病院。超音波内視鏡検査。
指定時間より30分早目について手続きをしていたら、「早く始められそうです」という。それは何よりと思ってしばらくすると、「前の検査の状況が色々あってしばらくお待ちくださいとなり、結局予定より1時間遅れて検査。
年に一回の定期的経過観察を継続することになる。
これまでの診断と同じで、何となくホッとする。

「『物質』の放棄をめざして レーニン<力>の思想」より<続>。
「社会的状況から内在的に生成してくる『構成する権力』を社会に対して超越的なものとなる『超越された権力』へと絡めとってしまうのは、表象システムである。ネグリやアレントが描き出すように、社会的大変動の瞬間に『構成する権力』は社会的編成を大規模に変革するが、すぐにこの流動性に対する反動が始まり、権力は固定化される。いわば、下から内在的に出現したはずの権力が、超越的なものとなって自身の起源の力を押さえつけることとなる。哲学的に言えば、これは唯物論に対する観念論の反動である。」

「そもそも、憲法を成り立たしめたのは『構成的権力』にもかかわらず、ひと度憲法が成立しそれが『構成的権力』を『憲法制定権力』として定義するや否や、『構成的権力』はそれが打ち建てられたものによって保障されるということになる。原因と結果の転倒。ここにおいて、唯物論に対する観念論の勝利は完成することになる。かくして、『構成的権力』の『表象化』は、その無力化、『人民による支配』の喪失と同義である。」

だから、政治におけるコミュニケ―ションには、街頭と言論の二つの場があるということが忘れられてはならない。

8/19(金)

元気堂。
明日からの大阪・京都旅行に備えて丁寧にメンテナンスしてもらう。
昼は、赤坂・津つ井で小マル(ハーフサイズのマルセイユスープ)とライスサラダ。
ライスサラダというのは、ご飯とサラダを和えたようなものだが、言葉で説明するのはなかなか難しい。
津つ井は、TBS入社以前からある店で、新人の頃にここの弁当が出たり、この店での打ち合わせがあると嬉しかったものだ。テキ丼、焼き飯、エビフライなど、美味しい。

8/20(土)~24(水)

学生時代の友人高橋君と大阪・京都旅行。
「前川日記・2016大阪京都編」
及び写真などは、以下のFBページ参照

二人で飲み歩きみたいな京都旅行を始めて、もう7年ほどたつのだろうか。年に夏と冬2回出かけたこともある。去年はアキレス腱の怪我で僕は行かれなかった。
そもそも、京都好きの彼が、夏のこの時期に大阪で開かれる素浄瑠璃の会に出るので、その足で京都に足を伸ばすことから始まった。
それまで京都に興味がないわけではなかったが、行ってみるとなかなか面白い、奥行きのあることは、その歴史からみても頷けるのだが、歩いてかなりの範囲をカバーできるサイズが良い。なんということもない街並みを歩くのも良いし、朝の鴨川ウォークも気持ちが良い。
お互いに行きたいところがあれば別行動というのも良い。大雑把に、昼あるいは夜に飲む場所を決めておいて後はご自由に、ということにしてある。
この夏は暑かった。
京都は月間猛暑日数の記録を更新中だという。

8/25(木)

昨日京都から帰る。

まず洗濯。
宅急便で旅行の荷物が戻ったので、その中のものも洗濯。
前川日記番外編・大阪京都日記など書いて終日ゆっくり。

8/26(金)

11時半に市民病院で脳神経内科MRI検査。
午後、事務局。10日ぶり。

夕方、学士会館で小石川・茶話会打合せ。スピーカー足立氏、幹事庄司氏。
足立氏の銀行マンの視点から見た世界、特にグローバリズム/新自由主義について。この半年で世界情勢は激変。20世紀的秩序の混乱・・・など。
「自分は右だ」と彼は言うけれど、認識の根本はそんなにずれていない。
終わって庄司氏と雑談。

8/27(土)

旅行の疲れが残っている。
台風が来るという。

8/28(日) 知の体力

換気扇の掃除、台所の床のワックスかけをセキスイ・カスタマーセンターに依頼。
午前中に業者が来てキレイにしてくれた。
換気扇の掃除は仕事をリタイアしてから、年に2回自分でやっていたが、昨年暮れにこの作業の後で坐骨神経痛が出た。これからは、プロに頼んだ方が良いだろう。

「『物質』の放棄をめざして レーニン<力>の思想」読み終わる。
この手の本を読み通す<知の体力>があってよかった。
一挙に読破するというわけにはいかず、何かしている合間合間にページを繰るのだが、ともかく面白さを持続して読めた。


権力をその行使のダイナミズムとしてではなく、生成のダイナミズムとその生成が瞬時にして固定化されるという関係でとらえている。
些か俗な言葉を借りれば、政治はダイナミズム(運動)とその運動形態としての組織の緊張の内にある。それはしばしば(あるいは必然的に)後者が前者を飲み込むという倒錯を生む。かれは、それを権力の表象化という。それ故に、ソビエトとは「それが成った瞬間に消えていく媒介者」であるということに意味があるのだ。問題は「成った瞬間」に消えずに、「成った状況」を固定化/支配しようとすることにある・・・のだろう。それって、アナーキズムに通底するような・・・?

8/29(月)

昼、事務局立ち寄り。
その後TBSメディア総研。
地デジ関係資料をこれ以上メディア総研に保管しておくわけにも行かず、処分するしかないと思っていたのだけれど、その話を民放連の客員研究会の懇親会でしたら、名大の林氏から「見てみたい」という申し出があったので、倉庫から出してもらって今日披露した。段ボール12箱。結構な量だ。ファイルしてある。
「こんなに整理されているとは思いませんでした」といって、喜ばれた。「宝の山に出会いました」とも。
「断捨離が下手だから」と言ったけど、取っておくことも大事な行為だな。

それにしても、ほぼ10年関わった地デジには個人的な思い入れが勿論あるが、それよりも日本の放送史のエポックだったのだと、あらためて思う。

8/30(火)

10月開催予定の「日韓中テレビ制作者フォーラム」長沙大会について、緊急連絡あり。その対応で、電話とメール。詳細は別途。

8/31(水)

午前中、TBSメディア総研。
先日の資料の未開封のものチェック。一番「これがあるといい」と思っていたものが、出てきた。

午後、事務局。
フォーラム問題。事務局シフト問題、HP問題など。
チョット鬱。


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