HOME > 前川日記 > 前川日記 2016.10.1.~10.アンジェイ・ワイダが死んだ。「灰とダイヤモンド」の衝撃は忘れられない。個人の生き方と時代との不条理、屈折、などなどについて映画を通して知った。当時の日本に通じるものがあった。政治と文学の関係を考えた。

前川日記

10/1.(土)

久し振りに少しのんびり。
今年も、残り後3ヶ月。

10/2.(日)

秋の良い日が少ない。

10/3.(月)

事務局新体制初日。
何となく上手く回りそうな気がするが、修羅場はまだ先だろう。
「<愛国心>に気をつけろ」読む。
鈴木邦男という最も質の高い右翼が右翼に見えない時代。
寧ろ、ラディカル・デモクラットではないか、この人は。

10/4.(火)

赤坂元気堂。
若い女性スタッフが辞める。
2年前に、担当のマッサージ師さんが産休の時、しばらく施術してくれた。若いけど、しっかりマッサージしてくれた。人柄の良い明るい人だ。
今度は、名古屋で一般企業に就職し、関連施設でマッサージもしたいという。
沖縄出身なのだが、神社に興味があって、あちこち見て回っている。先日は大山の阿夫利神社を紹介したら「良かった」と言っていた。
それでは、戸隠に行ってごらんと薦めたら、明日から行くという。町中の神社ではないし、駅からすぐというわけではない。ネットの情報や手書きの地図を渡し、宿はスキーの定宿「樅の木山荘」を紹介。餞別としてトレッキング用ヴェストを進呈。

10/5.(水)

戸隠行きの彼女、無事に宿に着くか少々心配。
朝から時々メールで連絡。
宝光社、中社、を経由して、夕方樅の木山荘着。ホッとする。
台風とすれ違いで天気もなんとか持ったようだ。

その間に、放送人の会の事務局スタッフが急病で入院との連絡。
上手く動き出しそうだったのに、どうなるのだろう。
事務局で新規スタッフと総務委員の業務状態を確認後、ユニオンで今野氏と打合せ。
終わってEL VUERO。

10/6(木)

戸隠の彼女に連絡すると、奥社まで行ったところだという。
帰りの行動予定をチェック。


しばらくしてメールすると、途中で道に迷ったけど現在位置は確かだという。調べると確かに問題ない。
その後、一番お薦めの蕎麦屋によってバスで長野に下り、新幹線に乗ったことを確認。これで安心。戸隠を楽しんだらしい。
戸隠を薦めた以上は、無事に帰るとこまでフォローしなければなるまい。

久しぶりの綺麗な夕景。

10/7(金)

「6の会」コンペ。太平洋相模。
「6の会」は、1960年代入社のゴルフ会。
結果は不納得だが、まだ上手くなる余地ありと思う。

急病のスタッフは検査の結果に問題なく出勤していた。安心するが、再発するような症状でないといいのだが、と思う。

赤坂元気堂に電話。
戸隠の感想など電話で聞く。
いつもの担当のマッサージ師に変わってもらってその話をしたら、「初めてのお使い」みたいですね、と笑われてしまった。

10/8(土)

定例の「前川会」。霞山会館。
例年より少し少なめだったが、年に一度の集まりは、都度色々思うことがある。
春の「前川家の面影をたどる日本橋ツアー」の写真集を回覧する。
富沢町のお稲荷さんに寄った時、
〽向こう横丁の お稲荷さんに 一銭あげて
 ざっと拝んでおせんの茶屋に 腰を掛けたら渋茶をだした
 渋茶よこよこ横目で睨んで 米の団子か 土の団子か
 お団子団子 
 この団子を 犬にやろうか 猫にやろうか とうとうトンビにさらわれた
という歌を思い出して、あの歌はなんの唄だったの?年長の従姉妹に聞いたけど「知らないわ」と言われてしまった。お手玉かなんかの唄だろうか…。
ネットで調べると、江戸からのわらべ歌らしいのだが。

10/9(日)

何もせず。無為の一日が過ぎて行く。
それも良い。

津田大介氏が、ネットではリベラルは99%負ける、ということについて書いている。
それへのネット上コメントに不愉快な気分。日本でもトランプが出てもおかしくないと思う。・・・もう出てるか。

10/10(月)

アンジェイ・ワイダ死す。
「灰とダイヤモンド」「地下水道」、個人の生き方と時代との不条理、屈折、などなどについて映画を通して知った。当時の日本に通じるものがあった。政治と文学の関係を考えた。
当時の学生たちは社会科学に強い関心を持つものが多かったが、反スターリニズムはほぼ常識であり、また後に新左翼と呼ばれる潮流は多層的(つまり乱立、分裂的に)に形成されていた。その中で、ワイダをはじめとするポーランド映画は刺戟的、魅力的だった。
イタリアン・ネオリアリズムとポーランド映画は、ぼくたちの青春の一部だった。
「夜行列車」「影」のカワレロウィッチもポーランドの映画監督だ。
こうした映画の流れの中から、ヌーベルバーグが生まれたのだろう。


書架を探したら、奥の方から「灰とダイヤモンド」のプログラムが出てきた。
映画はモノクロなのだが、プログラムの表紙はカラーだ。
製作は1958年、日本公開は1959年になっている。
しかし、60年に大学入学の僕が、高校時代にこの映画を観たはずがない。その頃は、思想的にも文学的(映画的、演劇的)にも、無縁の場所にいた。
観たのは、多分学生時代の後半か、社会人になってATGが出来た頃であろう。プログラムには、上映画館やスケジュールが書いてない。ATGではない。チケットは残っていない。


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