HOME > 前川日記 > 中国と日本の近代の交差と乖離に強く惹かれる。「日韓中テレビ制作者フォーラム」で北京に行った話は次回。

前川日記

10/11(火)

10月日記のパート1をアップ。
「前川会」報告レター書く。
エアコンの業者点検。設置の不具合と思われるので、設置業者に相談してほしいとのこと。なんだか面倒なことになってきた。寒くなる前に解決したい。

10/12(水)

夕方スキー仲間の掛川さんと会う予定だったのだが、一昨日身内の不幸との連絡でキャンセル。
事務局で作業確認の後、元気堂を辞める兼次君と「砂場」。送別を兼ねて蕎麦好きの彼女にご馳走。楽しく飲んで食べて会話した。屈託がなく、伸び伸びとしていて、気持ちが良い。

10/13(木)

スキャナーが突然不調、A4原稿なのにA4×2になってしまう。どうもA3と認識するらしい。エプソンのカスタマーセンターに連絡。最初の担当者が新人だったのだろうか、一生懸命対応してくれたのだが埒開かず。夕方連絡をくれることになった。
午後、何となく原稿位置をずらして何度かトライしたら、正常にスキャンできる場合がある。
どの位置と正常化の具合が大体わかったので、こちらから電話。「そういう場合は、professionalモードでプレビューすると分かります」という。そう、その一言が欲しかった。

10/14(金)

事務局。
昨日のスキャンデータを会のフェイスブックページにアップしようとしたけれど、うまくいかない。フェイスブックページの立ち上げに苦労したのだけれど、それを別の会員が自分でも投稿できるようにしているうちに何故かその人のページになってしまった。それ以来、直接投稿が出来ない。困った…。
新事務局スタッフで、忘年会の会場探し。理事会会場のテレビマンユニオン近く、北青山になりそう。

10/15(土)

漸く晴れた。
夏のGパン洗う。
「帝都東京を中国革命で歩く」(譚瑠美 白水社)読み終わる。
「日本の近代と中国の近代が交差し、そして乖離していく様子が良く分かる」と、短いコメントをFBにアップ。
・・・梁啓超、宗教仁、黄興、魯迅、蒋介石、周恩来、など中国近現代史に興味のある人なら知っているであろう人々が登場する。
特に、秋瑾の名前は印象深い。この紹興出身の女性革命家は、早過ぎた革命の挫折で斬首される。2007年秋に紹興を訪れた時、魯迅の旧家とともに秋瑾の家、記念館を訪ねた。その時のことを、TBSメディア総研<メディアノート>に書いたので、以下に一部再掲。

秋瑾は清朝末の女性革命家。 結婚、出産の後に日本に留学。 革命組織「華興会」に加盟。帰国後、直接行動で清朝打倒をはかり、徐錫麟と武装蜂起を試みて失敗。逮捕され斬首。最後に「秋風秋雨愁殺人」と書き残した。早過ぎた革命だったのだろうが、しかしではもう少し歴史に遅く登場していたら、国民党や共産党のような組織的運動に適応できただろうか、それは分からない。その意味で、(今だからいえるのだが)彼女は政治的というより文学的存在なのだと思う、ロープシン/サヴィンコフの作品に登場する帝政ロシアのテロリストたちがそうであるように。人は、その時代にしか生きられないのだ。彼女の伝記を日本語訳したものを売っていたので買ってみた。絵と写真入の物語風読み物だった。家に戻って武田泰淳の「秋風秋雨人を愁殺す-秋瑾女史伝-」を再読した。文革中に紹興を訪れた武田泰淳が見た光景の写真が載っていて、例えば秋瑾が処刑された場所にある記念碑の周囲の様子は今では大分変っている。当時は、記念碑の直ぐ裏が水路だったそうだが、今はメインストリートである。紹興も大分現代化しているのだ



 魯迅の旧家は北京時代のものも訪れたし、上海では最後の隠れ家のようなアパートも見た。この紹興で少年時代を過ごした魯迅が、家産が散じる中で日本に留学し、医学から文学に転じたことは良く知られている。
 留学時代に秋瑾と魯迅は同じ留学生として接点があったとしても不思議ではないが、果たしてどうか。そのあたりのことは魯迅の弟周作人の文章を踏まえつつ武田泰淳も書いている。魯迅も秋瑾のことを「薬」という短編で書いている(魯迅の高度な、ということは屈折した小説作法には、中国の近代化の苦渋が滲み出ている)。
①秋瑾が処刑された場所に立つ記念碑 ②秋瑾胸像 ③魯迅旧居 ⑤魯迅が通った塾近くの運河 
中国への強い関心はどこから来るのだろう。
そのことを、TBSメディア総研HP<メディア・ノート>に「中国ノート」として書いている。2006年、今から10年前のことだ。
日本の現在をきちんと見るためには、日本の近代化を捉え返さなければなるまい。その捉え返しの方法として中国の近代化を知ることは、自己認識の客観化として有効だと思う。


旧「内山書店」跡。内山完造は魯迅と信頼関係にあり、魯迅の最後にも立ち会ったという。
日本の現在をきちんと見るためには、日本の近代化を捉え返さなければなるまい。その捉え返しの方法として中国の近代化を知ることは、自己認識の客観化として有効だと思う。

それにしても、およそ100年前の知識層(インテリゲンチャー達)は本当に、苦悩していた。その苦悩は国家の自立と不可分だった。
今、国家からの自立が思想課題であるべきだろう。
インテリゲンチャーの苦悩は、いまそのようにしてあるだろうか。
そのようなテーマが日中間で語られることが成立するだろうか。
西欧近代が生んだ、民主主義と主権国家そのもの、実態、機能だけでなく、その概念、理念、が危機にある。
下の写真は、魯迅が蒋介石側に追われて身を隠していたアパート。内山書店から近い。
他にも、作家文化人が住んでいた。


10/16(月)

北京行きパッキングを始めたのだが、東京との気温差が大きい。特に、夜は5度近くまで下がるという。どういう衣装プランで行くか悩ましい。今ごろ云うのもなんだけど、結構着るものには拘る方だ。いつからこうなったのかといえば、もともと潜在的にそういう気質はあったのだろうが、自覚したのは40歳半ばくらいからだろうかっ。少し生活にゆとりが出来こと、現場を離れて着るものが変わったことがきっかけだったかもしれない。

10/18(火)

続・中国について。
別の近代はあったりえただろうか。日本も中国も。
「近代の超克」という宿痾。

中国の社会主義革命という近代化は、改革開放/先冨論と現代化に結局のところ行き着いた。日本は、帝国主義時代の資本主義の中で<大東亜>という虚妄に絡めとられた。
今、資本主義、近代国家、民主主義という三点セットが揺らいでいる。西欧世界の枠組みが崩れようとしている。
近代の流れの果てで、私たちの足場はどこにある。
「世界史的立場と日本」、悪名高きあの著作をAmazonに発注した。三木清の「東亜協同体の哲学―世界史的立場と近代東アジア 」も併せて。
ライフワークというほどのものではないが、変わらぬ関心がそこにある。

「日韓中テレビ制作者フォーラム」特別プロジェクトチーフの渡辺氏から「胆管結石で入院手術」との連絡。出かける途中だったので、取り敢えず会長の今野氏と対中国担当の山田氏に携帯から連絡。
友人の高橋君と赤坂「砂場」で歓談中に、思いついたことを適当な人たちと電話会談。総務担当吉田氏、中国韓国と接触機会の多い田中氏、古参会員で国際関係になれている隈部氏、など。近況対応協力依頼。
夜、メールでフォーラムの特別顧問河野氏に連絡。

10/19(水)

昼前から事務局。
「向こうに行ってから具合が悪くならなくて良かったですね」、本当にそうだ。
航空便の確認、参加番組関係者との調整でNHK、東海テレビ、などと電話協議。
夕方、ユニオンで会長と諸事調整。
全体として何とか体制が出来たか?

10/20(木)

メール、電話で諸々対応。
自分の荷物のパッキング、チェック。
海外も年に一度程度になってしまったので、かえって緊張する。
明日の早朝のタクシー予約。
息抜きと気分転換にトコヤに行ったら2人待ちなのでやめる。

以下、北京日記。


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