HOME > 前川日記 > 前川日記 2017.8.1.~11. <敗者学> 何故、敗者に惹かれるのか。鹿児島でローカル局の原点を考えた。「てんでしのぎ」のこと、など。

前川日記

8/1(火)病院に行くということは、<待つ>ということ。

町田市民病院。
病院に行くということは、<待つ>ということ。今日の程度は良い方だ。
MRI予約。その他色々検査と診断スケジュールが入る。8、9月は思わず色々病院に世話になることになった。

8/2(水)

事務局。
「日韓中テレビ制作者フォーラム」共催の上智大学音氏と調整。

8/3(木)

ジャンヌ・モローが死んで、昔見た映画が懐かしくなってDVD取り寄せ。名作傑作ではないが佳作だ。原作のマルグリッド・デュラスの愛読者ではないが、あの作家の心理描写が映像として表現されているのに感心。最後の彼女の”叫び”は凄い、自分で自分を殺したような。映画の冒頭に出てくる殺人事件がそこでつながる。
若い時にどんな気分で観たのだろう。
それにしても、「雨のしのび逢い」という邦題はひどい。「モデラート カンタービレ」では客は来ないと思っただろうが、それにしても何とかしてほしかった。

8/4(金)

赤坂マッサージ。
旅行、ゴルフに備えてきつめ。痛いヨッ!
ランチ「津つ井」、ライスサラダ。
帰ろうと思ったら、事務局から電話。
夕方時間があれば吉田氏が懇談したいとのこと。
今日、帰宅することになっていたので、一度は「今日はナシ」と伝えたのだけど、チョット考え直して事務局へ。17時から開いている店ということにして、赤坂エクセル東急ホテル内の稲庭うどんの店にした。20時頃まで。悪くない店だった。
放送人の会、特に「日韓中」のことなどアレコレ。

帰宅してメールを開けると、月曜からの民放連の調査旅行(宮崎、鹿児島)について、台風の影響への対応等連絡。難しい判断だ。

8/5(土) 戦後民主主義思想と戦後思想

陽射しあり。即座に洗濯。
民放連からのメール再度チェック。対応を考える。ともかく出かける用意はしておいて、明日夕方の最終連絡を待つことにする。


敗者の想像力」(加藤典洋)はともかく面白かった。登場する<敗者学>を先駆的に提起した山口昌男の著書を引っ張り出してみる。歴史人類学。
「敗者の想像力」があまりに面白かったので、いくつか引用。

敗者学の先駆者山口昌男の仕事に就いて、
<「戦後は敗戦ショックで見失われ」た「戦時下の、誰もが苦しんでいた時期の、知的感受性の歴史の匿れた水脈」について、「戦前昭和の公的言説体系は、そうした感受性を挫折に追いやる方向で構築され」たが、「それは方向を変えて戦後にも生き続けた」。社会の公的な「善」の基軸は「八紘一宇」から「世界平和」に転換したが、それをヒエラルキーの頂点とする善悪二元論のもと、それに跪拝しない「控えめで壊れやすい」知的感受性を抑圧する構造は、一貫して変わらなかった、と山口は見る。>

そして、戦後民主主義思想と戦後思想について。
<・・・優者の道に倣うか、劣者の道を切り開くか、という劣者にとっての「岐路」>、<この「岐路」の選択が、もはや先送りできない問いとして突き付けられたできごとが彼らにとっての、一九百四十五年の敗戦だったといってよい。私は一度そう考え、誤りを反省し、先進の西洋思想から学ぶことを第一とする「戦後民主主義思想」に対して、いま自分たちに課せられた現実を基礎に、この第一の道に「抵抗」しつつ、自己形成する第二の流れをさして、これを「戦後思想」と呼んだことがある。・・・前者の系列に並ぶ知識人には、丸山真男、加藤周一、桑原武夫、日高六郎がおり、後者の系列に並ぶ知識人には、吉本、鶴見のほか、中野重治、竹内好、埴谷雄高、鮎川信夫、谷川雁、花田清輝、江藤淳、橋川文三といった知識人たちがいる。双方とも優れた知識人だが流派が違う。では両者の違いは何だろう。・・・こんな問いにぶつかったとき、私に、それまでは私の語彙になかった、「敗者の想像力」という言葉が、ひらめいたのである。>

最後に、末尾の一節。
大江健三郎の仕事に触れつつ、
<戦後民主主義という「時代精神」を最後まで生ききることは、それが超国家主義の「時代精神」のうえに「接ぎ木」されたものであること、しかもそれを否定しきるものであること、この二つをともに生きること、そこから新たな「子」が生まれるなら、それを自分の「子」として、戦後民主主義をより強固なものにするために受け止め、腕に抱き、愛し、育てることではないか。>

こうした加藤典洋の問題意識は、拙いながら関心を持ちつづけてきた私の関心に重なる。例えば、<-戦後70年のための覚書き-「ハンナ・アーレント」が映画化されたように「近代の超克」のテレビ化は可能か>で、私は「そう、私たちはちゃんと負けていないのだ」と書いたように、そして「近代の超克」に拘ったように。
 とくに、「戦後民主主義思想」に「戦後思想」を対峙させたこと、「戦時下の、誰もが苦しんでいた時期の、知的感受性の歴史の匿れた水脈」を「控えめで壊れやすい」知的感受性として評価する山口昌男に注目したこと、そして大江健三郎の文学が<戦後民主主義という「時代精神」を最後まで生ききることは、それが超国家主義の「時代精神」のうえに「接ぎ木」されたもの>という認識に根差していること、などなど深く同意すると同時に新鮮な刺激も受けた。

8/6(日)

ヒロシマ。

大型迷走台風5号がどうなるか、つまり明日からの宮崎・鹿児島行がどうなるか。
夕方の状況では飛行機は大丈夫そうだが・・・。ダメかな、と一度思ってしまったので何となく億劫な気がしているけど、そうもいくまい。

8/7(月)

6時前に自宅発。
新百合ヶ丘6時25分も羽田行きバス。
9時半発の便が30分ほど遅れる。
多少揺れたが昼前に宮崎着。

テレビ宮崎:三局(日テレ、テレ朝、フジ)のクロスネットで、編成上のアドバンテージはあるが、ニュースネットは結構大変だ。大事故、大ニュースの時は、ベースになっている編成表のネットキー局に飛び移り、飛び降りる。地元の全国ニュースは平等に配信。大事件のときは3キー局のデスクが集中する。

ケーブル局BTV。
BはBOTH(視聴者と局の双方の連携の意)。
地元大手焼酎資本の地元貢献事業の色合いが濃い。「地元に税金を払おう」など。
鹿児島局の再送信も実施。

バスで鹿児島移動。
7時過ぎ着。

8/8(火) 「てんでしのぎ」

南日本放送(MBC)。
10年ぶりだ。地デジ関連で2度ほどお邪魔した。
中村社長とは、それ以前のJNNアメリカ視察団で同行。当時報道局長だった。
ローカルらしいローカル。水曜G帯にⅠ時間のローカル枠二段重ね。鹿児島県民のための局に徹しながら、ネット ファーストの経営方針を掲げている。こういう局には本当に頑張って欲しいと思う。


鹿児島読売テレビ。
会長は日テレ、社長は讀賣テレビ出身、報道局長は讀賣新聞。
「キー局とは視聴者との距離が違う。圧倒的に近い」、「報道の力は新聞が絶対に上だが、テレビは影響力が大きい。」
外を見れば、台風の後なのに桜島が靄っている。

鹿児島新聞
県紙として8割のシェアー、そのプライドが溢れている。
「テレビは気にならない」という。

終わって、MBC主催の「ユースオーケストラ」鑑賞。これもローカル局の存在理由。HBC(北海道放送)も、「歯を食いしばってでも(文化活動を)続ける」と言っていた。

夜、MBCと懇談。
「てんでしのぎ」の話など。
NHKのドラマ「夢千代日記」(早坂暁脚本 吉永小百合主演)に、「冬の日本海は厳しくて、舟はみんなてんでしのぎです。」という台詞が出てくる。いつもは船団を組む漁師たちも冬の海は荒れていて、ひとりひとりが自分の船を操り漁をする(てんでに凌ぐ)という意味だ。
地デジの時、「ローカル局の経営は厳しくなるが、キー局にも余裕がない。てんでに凌いで欲しい、そういう時代になる。」という話を、メディア戦略担当として系列の会議でしたことがある。
中村社長ははっきり覚えていた、申し訳ない。

8/9(水)

ナガサキ。

昨夜は12時にホテルに戻り、今朝は5時起き。
出発遅れで、羽田着10時過ぎ。バスの乗り継ぎ悪く30分ほど待ち。暑い。
バスの到着遅れで、45分近く待ってしまった。

帰宅して、明日のゴルフの支度。長女次女の夫たちと。
早く寝る。

8/10(木)

4時40分発。
連日朝が早い。
・・・と思ったら、ゴルフ場についたら時間確認ミスで2時間も早く着いてしまった。
遅く間違えるよりイイか!
途中で小雨。

終わって、TBS箱根寮。
ゴルフ場のホテルより落ち着いて、しかもずっと安い。

8/11(金)

朝、寮を出るとき雨。
ゴルフ場に着くと小降り。
休暇に入って、東名の下り混雑で到着遅れの客が多いという。空いている。
九州疲れのせいか、昨日今日と乱れる。
途中から霧雨程度になり、無事終了。

5時帰宅。
歩いて1分の次女宅で一同7人揃ってゆっくり夕食。
寛ぐ。


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