HOME > 前川日記 > 前川日記 2017.10.1.~10.「アジア辺境論」(内田樹 姜尚中)。状況を踏まえた自由な発想が良い。「テレビは何でくだらないことばかりやってるんだ」という声が聞こえてくる。日常と非日常の目のくらむような落差。その落差の中にテレビジョンはある。

前川日記

10/1(日)

微熱続く。
半日寝ている。

10/2(月)

夜中目が覚めると気分が良くなっている。
朝は、また調子が出ない・・・が、昼すぎ事務局。
16時半、ユニオンで今野氏と「日韓中」今後のこと、理事会対応協議。
結論は変わらないが、アプローチがソフトランディングになってきたかな。

立憲民主党結党。
今の政治状況の核になれるだろうか…なれると良い。

10/3(火)

また発熱。
治まりそうでおさまらない。風邪というのは傾向としてこういうものだったと思うが、この2年ほど風邪をひいていなかったので、忘れていた。

10/4(水)

事務局。
緊張感がない。疲れだろう。
風邪そのものは、漸く回復局面か。

10/5(木)

ぼぼ平熱。
午前中、床屋。
咳やくしゃみが出ないので、
そういう場所も大丈夫だろう。

10/6(金)

理事会前の確認で事務局。
早目に引き揚げ。

10/7(土)

理事会が16時からだけど、何となく早目に家を出る。午後遅く出るのが生理的に嫌なのだ。
青山のコーヒーショップ「三十間」立ち寄り。
読みかけだった「アジア辺境論」(内田樹 姜尚中)読んでしまった。「日韓中」の直後だったし面白かった。状況を踏まえた自由な発想が良い。

理事会。
「日韓中」の中間総括と今後の対応。
色々意見が出る。良いことだ・・・が、今年フォーラムの評価が高いのはその通りだが、だから継続とはいかない。そこが難しい。組織力が限界なのだ。ボランティア的行為の限界でもある。
終わって、寅福。
精算で、この頃計算違いが多い。

10/8(日)

サンデーモーニング。
岸井氏復帰。だが、抗がん剤の副作用で帽子を被って登場。
再発が心配だ。
理事会議事録作成。自分のメモの文字が判読できない。困った。

10/9(月)

雑草取り。こういうことが、だんだん億劫になって来た。歳だね。
アイロンかけ。

「テレビは何でくだらないことばかりやってるんだ」(総白痴化論のままだ)という声が聞こえてくる。いわれ続けてきたことではあるが、さて、それに何というべきか。自分でもいい加減にしてほしいと思うことはあるが、とはいえいい加減でないことも色々ある。そもそもいい加減とは何か。
「テレビはほとんど大衆文化の直接的表出である」という一言を思い出している。

10/10(火)

排水口掃除。
風邪はほぼ復調。


テレビについて・続
東日本大震災の”一人称オムニバス ドキュメンタリー” 「記者たちの眼差し」・報道の魂(TBS 2011.6.5.及び2011.9.10)について、
<このなかで、静岡放送の記者が、被災者に「どんなテレビ番組を見たいですか」と聞いたんです。そうしたら、年配者は『水戸黄門』、大相撲中継。中年の主婦は、韓流ドラマ、ワイドショー。若い人は、AKBと楽天(プロ野球)。みな即答した。それを聞いてぼくはほっとしました。>
「テレビは何を伝えてきたか」(植村鞆音・大山勝美・澤田隆治 ちくま文庫 2012./「月間民放」 2010.3.から隔月12回連載.)

しかし、この静岡放送の岸本記者は、
<「現場に立ちこめる臭い、靴底に感じる砂の感触」を確かめつつ、「テレビは何を伝えているか」と自問する>のである。
その後に、上に引用したテレビについての会話が続く。
そして彼は<「映像は無力、コトバは虚しい・・・テレビに何ができるのか」と立ち尽くす。>のである。(「<3.11>はメディアの現在をCTスキャン[断層撮影]した」前川英樹 「ネットモバイル時代の放送-その可能性と将来像-」民放連研究所編 2012.学文社」)

テレビにおける日常と非日常の目のくらむような落差。その落差の中にテレビジョンはある。

「テレビは何を伝えてきたか」の終章近くにこうある。
(テレビは映画、演劇、新聞、など乗り越えるべきものがあったが、今や)「乗り越えるべきはマンネリズムに陥ったテレビジョン。つまり自分自身なんですよ。」(大山勝美の発言)


「テレビジョンとは、ドラマもドキュメンタリーも、お料理の番組も、その他もろもろあわせて、『番組』をつづりあわせたものだと考えるからです。映画はちがいます。映画は少なくともある『作品』を鑑賞するものです。(略)けれども、テレビとは、果てのない時間の流れを、とにかく便宜的に区切った『番組』の総体でしかありません。」(佐々木守 「調査情報」1972.1.)「芸能人の帽子」中山千夏 講談社より。

そしてテレビジョンは、かくなる切れ目のない日常のなかで、それを突然切断する9.11.や3.11. と向き合うのである。それを避けることはできない。それがテレビジョンなのである。
「わたし=テレビは、ただの現在でありたい」。


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