HOME > 前川日記 > 前川日記 2018.3.1.~16.今年も<3.11.>を考える。放送法4条のことも。戸隠と東京の間の自由な時空は貴重だ。

前川日記

3/1(木)

新幹線から見る関東平野の風景は何処か懐かしい。
そこここに残っている防風林、ひっそりと取り残されたような墓地、それらに寄りそう家々。茫々たる平地のかなたに山脈。

東京は20度の予報だが、戸隠は雪らしい。
シャツにベストとハーフコートで出かけて、インナーダウン上下を持って行くことにした。長野駅前は寒くない・・・が、バスに乗って飯綱あたりから冷えてきた。風もある。雪きも舞い始めた。中社を過ぎたところで、ダウンを取り出して着た。インナーパンツはアウターとして上から履いた。バスを降りて宿まで5分、寒かった。ダウンを持ってきて大正解だった。

3/2(金)

8時頃からみるみる雲が切れて日が差してきた。
アイスバーンの上に少し新雪。風が強い。突風で雪が舞い上がり、地吹雪で先が見えないこともしばしば。
午後から風が治まって、良く滑った。


3/3(土)

暖かい。週末で、長野市内からもスキーヤーが来ているのだろう。朝から混んでする。
11時頃にアイスバーンからザクザクの雪にかわって難しいコンディション。昨日硬いバーンを良く滑ったので疲れが残っている。脚に来た。土曜日に滑るなんて、久しぶりだ。


宿に戻ってふと気が付けば、いつもなら飾ってあるお雛様がない。どうしたの?と聞くと旧暦に合わせようかな、そうすると長女が中学入学時まで飾っておけそうだし…、という。
戸隠山の残照が綺麗だ。

3/4(日)

朝食のスープはポタージュ。
この季節にスープが出ると、「スプーンに掬えば春のさざ波のポタージュの皿その上の空」(佐佐木幸綱)という歌を思う。


座敷を見るとお雛様が飾ってある。やっぱり飾ることにした、夜中に取り出して飾ったという。良いお雛様だ。

今日は、滑らずに帰る。
土日のバスのダイヤだと、長野駅で新幹線との接続が良い。上手く乗り継いで2時頃帰宅。

3/5(月)

終日在宅。
強い雨風。春の嵐。

3/6(火)

今日も在宅。

3/7(水)

総務委員会。
決算理事会、総会、などの段取り、確認事項など。
メンバーが情報共有しで作業分担する仕組みが出来て、委員長が誰でも機能するようになると良い。
終わって赤坂アイヒェンプラッツ。

3/8(木)

午前中、メディカルクリニック悠々定期診断。
処方してもらって薬局へ。一種類薬が足りないので。明日自宅に届けるという。
それはそれで良いのだが、この薬局どこか今一つしっくり来ない。

一度戻って、昼前に新宿へ。
RTと会う。3時間色々話す。
その後、新橋で共同通信原氏と懇談。富山支局から帰任。地デジ当時のことなど。
久し振りに10時過ぎの電車で帰る。

3/9(金)

赤坂でマッサージ。
昼は、つつ井。
終わって事務局。

3/10(土)

少し疲れている。
明後日からの戸隠行きのため休養。
今シーズンはこれで終わりか、もう一度行こうかなどと思う。滑ることに何の抵抗もないが、出かけることに少し億劫になっているらしい。

3/11(日)

「3.11.」特番を見ながら、色々なことを思った一日だった。
「三月十一日の東日本震災と東北地方の大津波、福島原発の大事故は、自然に対して人間が上位に立つというガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という十九世紀の幻想を打ち砕いた。(略)私たちは古来、人類が有していた自然に対する畏れの感覚をもう一度取り返すべきであろう。」(「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと」山本義隆 みすず書房)

あの日、僕は戸隠にいた。スキー場の食堂の電気が大きく揺れた。少しの間つながっていたケータイも切れた。多摩川を越えて電車通学の孫(小1)が、学校からの帰宅途中で連絡が取れないというが、その後のことが分からないまま時間が過ぎた。2時間ほどしてからだろうか、回復したケータイのメールに「無事帰宅」とあってホッとした。
滅多に見ない宿のテレビで、仙台平野をひたひたと覆う津波の映像に息を呑んだ。福島第一の爆発もそこで知った。その夜の長野県北部地震で宿は大きく揺れた。
穏やかな陽光を被災地に届けたい、そう思ったことを覚えている。帰宅できたのは二日後だった。

3/12(月)

暖かい。
新宿駅南口は春の光景。東京駅を出た新幹線の窓外も春だ。


戸隠スキー場の雪はどんどん減っている。大宮でスキー仲間の掛川さんと合流。かつて<和泉旅行社村上社中>といった10人近いグループも、一緒に滑る機会があるのは掛川さん位になってしまった。掛川さんも去年は一度も滑らなかった。宿には慶応病院のグループが来ていて、話せば僕がTBSの診療所でお世話になり、今も人間ドックの内視鏡をお願いしている先生知っているという。

3/13(火)

好天。暖かい、
11時までは硬いバーン。その後は溶けてシャーベット状。
春だな・・・。

3/14(水)

今日も好天。
暖か過ぎだ。この1週間で、40センチは減っている。
雪上歩行の慶応病院組とゲレンデで挨拶。
掛川さんは昼前に上がって、馴染みの店でランチ。


午後は一人で滑ってシーズン仕上げの確認。こうすれば、ここがこなせればもっと上手くなる、などと自分と会話しながら滑る。
宿には、大学の先生と能が趣味だという二人組。フト「観世、宝生、金剛、金春、喜多」と口を突いて出る。どこで覚えたのか、よく忘れずにいたものだ。
夜にはその知り合いの飯綱の版画家夫妻も加わって団欒。この宿ではいろんな出会いがある。

3/15(木)

滑らずに帰る。
月末に荷片付けに来よう。

3/16(金)

事務局。
来週の作業手順を考える。

放送法4条が議論されているという。
「政治的公平性」の規制撤廃の問題は何か。
数年前に、放送制度と市場規制の関係を議論する場にいた。
おぽろげな記憶を思い起しつつ思ったのは以下のようなことだ。
情況が良く見えないのでずれているかもしれないが、いずれにせよ議論はここを外せないだろう。

フェアネスドクトリンの緩和乃至は撤廃は、ジャーナリズムとしての放送のあり方の根幹に関わる。それが、規制改革会議の対象になっていることを、かなり懐疑的に見た方が良い。
どれほどメディア論的発言が有効に機能する場か、そこから疑わないといけい。政治的公平性そのものから放送を解放することはそれなりに意味があるという考え方は成立する。論理としてはあり得ると思う。
しかし、規制改革の場としての論議は「市場開放・競争原理」という論理で制度を語るためには、「原理としての放送」についてどう認識するかが問わる。放送法そのものが、国家放送としての戦前のNHKへの反省を基に成立しているのであって、それ故に「政治的公平」とは、権力に追従しない/権力からの自由を意味しているということを前提としなければならない。この論点を強く打ち出さない限り、今放送事業者が極めて危うい場にいることさえ曖昧にされてしまうだろう。
規制改革という場で<放送>を論じさせようとすることに、狡猾さを読み取るべきある。かつての竹中懇を思い起している。
守旧派という批判を浴びることを想定し、尚且つ市場と言論の関係を事業者として論理的にして説得的に語るという綱渡り的力量が試される。それだけの力量があるかどうか、ここは相当に大事な局面だ。

というようなことを、東京と戸隠の往来の間に考える。<3.11.>のことや、自分がここまで生きて来て心に残るいくつかのこと、その意味についてになども。


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