HOME > 前川日記 > 前川日記 2018.9.1.~15. 「映画を撮りながら考えたこと」ノートを漸くアップ。母の命日墓参り。

前川日記

9/1(土)

9月。残暑。
カメラを取り落としそうになった時、思わずシャッターを押したらしい。ちょっとシュールな、いい感じの写真。

9/2(日)

何もせず。多分。

サンデーモーニングの金富プロデューサーがシェアーしていた。辺見庸氏が、オウム死刑囚の処刑について書いている。強く共感する。
辺見氏は、三菱重工爆破事件の主犯、死刑囚大道寺将司(獄中死)の「棺一基 大道寺将司全句集」を世に出した。その目線、そしてそれをドキュメンタリー(NHK)にしたときの姿勢、この人は凄い人だ。
以下、放送人ブログSpecial- 2017年05月27日「一基四顧茫々と霞みけり」大道寺将司死す。死刑囚大道寺将司が獄中で死んだ。
1974年<三菱重工ビル爆破事件>の主犯だった。
あさま山荘事件が戦後左翼の終焉だと思っていたが、その後で突然起こった事件は、何かひどく受け止め方に困惑するものがあった。
その主犯の大道寺将司は、獄中て句を詠むようになり、大道寺を追い続けた作家辺見庸の手で上梓された。「大道寺将司全句集」(太田出版。)
辺見庸とともに大道寺の俳句に込められた思いをドキュメンタリーにしたのはNHKだった。
以下は、2013年の「放送人グランプリ」に推薦した時の文章である。


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グランプリ候補者名
「失われた言葉をさがして
 辺見庸-ある死刑囚との対談」 投票会員名 前川英樹

グランプリ推薦理由
<3.11>から、「早くも」あるいは「漸く」2年目を迎えた今年、被災地を継続的に取材しあるいは原発事故の真実やその影響の広がりや深さを追求する優れたドキュメンタリーが数多く制作され放送された。しかし、敢えてここではそれ以外の分野から推薦したい。それほどにこの「失われた言葉をさがして」の衝撃は大きい。
この番組を見て、1974年の三菱重工爆破事件の主犯で確定死刑囚である大道寺将司の句集「棺一基」のページを繰ったのだが、そこから伝わってくる<人が生きてあること>の切実さに絶句した。これは映像にすることが困難な、というより「映像化しないほうがより表現として純化されるであろう世界」を、敢えてテレビドキュメンタリーとして取り上げた決意に敬意を表したい。
独居房で生きる日々に感じる微かな季節の変化の兆しあるいは記憶、を俳句として記録する、その身を削るような十七文字に息を呑む。自分の行為による死者達と<今>生かされている自分との確執にたじろいだ。その大道寺に向き合う辺見庸の執念ともいうべき眼差しに敬服した。
戦後をどこで区切るかには様々な考え方があるが、1960年を頂点とする政治の季節は「あさま山荘事件」(1972年)で終焉したというのがひとつの説得的な見方だろう。しかし、1974年の三菱重工爆破事件は、「東アジア反日武装戦線」という特異な名称の組織犯罪として、改めて考察されても良い。その中心にいた大道寺の句集は、革命的と信じて選択した行為とその結果としての犯罪との確執として、敢えて言うならば帝政ロシアのテロリスト、ロープシン(作家名ザビンコフ)の「蒼ざめた馬」「黒馬を見たり」に匹敵するだろう。制作者がそのことを意識したか否かはいざ知らず、見るものをしてこのようなことに思い至らせたドキュメンタリーが、<今>制作され放送されたことに強く打たれた。
大道寺の刑の執行が急がれることなく、彼が切実に生きる一日が一つの句を生み、その句は生きることのいかに辛く苦しいことであるかを刻むことである、そう思わせるドキュメンタリーだ。
ザビンコフには実名として書かれた「テロリスト群像」という著作がある。大道寺もそれを書き残すべきだろう・・・というようなことも思った。遺族被害者の思いに反することであるだろうが、生きている限り、それは大道寺にしか出来ないことでもあろう。
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グランプリも優秀賞も何も取れなかった。
心残りである。

9/3(月)

兄と墓参。音羽護国寺
終わって食事。
生母、昭和20年9月。
継母、昭和30年5月年。
父、同11月。
父が生きていたころ、どうしてか父と二人だけでここ来た記憶がある。小学校2~3年生のころだろうか。とすれば、昭和24,5年か。母の命日だったのだろう。東上線成増の親戚(父の長兄)の家に行った帰りだったような気がする。護国寺から池袋方向の坂道とその上の空が真っ赤な夕焼けに染まっていたことを覚えている。何故かスイカを抱えていたようだ。帰りの横須賀線から見た品川付近にある明治製菓の工場の焼け跡、その光景が目に焼き付いている。その後も、焼け残った煙突が何年か残っていたと思う。。
以下、前川日記 番外編 参照。

9/4(火)

朝から天気は荒れ模様。
町田市民病院 定期検査。長女が車で送ってくれた。
今日は、内視鏡。点滴をしながら。
昼は町田小田急でステーキハウス。
気の利いたバッグを見つけて購入。また癖が出た。

9/5(水)

事務局。
「日韓中」光州大会準備で担当者、スタッフ多忙。
参加者確認、韓国担当者との情報交換、など。中国からは別件要望あり。
秋の空は、夕方から夜へグラデーション。


9/6(木)

是枝裕和「映画を撮りながら考えたこと」についてのノート。どんどん書くことが増えていく。ジグソーパズルのような作業になってきた。

久しぶりに根を詰めた作業で一日が終わる。

9/8(土)。

朝、歩く。
少しだけ秋だ。
今日も一日PCで作業。


9/9(日)

大学ラグビー早稲田:筑波。
早稲田、久しぶりにすっきりした勝ち方。
これを見るために、JCOMスボーツ4を契約。
「映画を撮りながら考えたこと」、どうやら形になった。
昨日届いた「上海バンスキング」DVD観る。良い。舞台の吉田日出子の歌は圧倒的にいいが、映画もなかなか。深作欣二の良さが出ている。


9/10(月)

夜、「映画を撮りながら考えたこと」ノート漸くアップ。疲れた。
FBにアップしたところで、微修正。ところが、ブログデータを修正しても、アクセスしたページでは修正前のまま。何度やってもうまく行かず、さらに疲れ果てて寝る。

9/11(火)

朝、前日アップしたものを削除。全部再アップして完成。やっとスッキリした。

町田市民病院。MRI検査。
11時40分予約だが、早めに行ってゆっくりしようと思ったので、1時間前に到着。ところが、前の予約の人が来たのが11時半過ぎ。結局終わってみれば13時。朝食抜きなので、空腹の頂点。今日も町田小田急で昼食。しっかり食べ過ぎた。

16時半、「放送人の証言」の出版企画打合せ。作業が具体化する段階を想定してプロジェクト・チームを組織する必要あり。そのための準備会合。
色々課題はあるが、何とかしないといけない状況。
こういうときこそ、リーダー(今野さん)のリーダーシップが必要。

9/12(水)

事務局。「日韓中」関係の準備も一区切りしたようだ。
昨日の帰りに、駅前の小田急OXでレトルトのシチューやカレーを買ったつもりが、ルーだった。どうしよう…と言っていたら、長女が来て、「有難う、引き取るよ」ということで解決。

9/13(木)

次女来る。
長女宅で昼食。例のルーでハッシュドビーフ。美味しかった。
前川家、家系図の解説。


18時半、「貸本文化会」。駒形どぜう渋谷店。
この会は楽しい。
課題本は決めるのだが、話題はどんどん広がってとどまるところを知らない。主に、その時々の文化状況だが、今回は琳派の話題が面白かった。宗達と光琳。
広告代理店のCMクリエイター、様々なメディアに関わっているキュレイター、いまは吉本で仕事している(何してるんだろう?その前はWOWOW、NTT研究所、など)、編集者、建築デザイナー、そして今回フリーのライターが参加。みんな40代だ。年に4,5回の集まりだが、各人各様に楽しんでくれる。異業種のメンバーのとりとめのない、でも結構芯を喰った会話の場が良いのだろう。11時帰宅。写真は須田氏撮影。

9/14(金)

久しぶりに盛り上がった会話と酒で疲れたのだろうか。
眠い。午前中ウトウト。

9/15(土)

番外編として母の辞世の歌などについて書く


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