HOME > Special > <「戦後」の終わり>のアポリアについて>・・・大学時代の友人たちへの手紙

Special

早稲田大学・社会思想研究会の皆様へ
2016.1.11. 前川英樹

*.早稲田大学・社会思想研究会は大学時代4年間所属していたサークルである。
当時の社会科学系サークルのほとんどがそうだったように、60年安保闘争などとのかかわりで、世界と自分との関係をそれぞれに模索するメンバーの集まりだった。
<放送人ブログ>(2015.06.26.) 「1960年のことなど」参照

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思わぬアクシデントで本日の会合はやむなく欠席することになってしまいました。
大変残念であり、また申し訳なく思っています。

昨年6月に、不覚にも右足アキレス腱断裂という事故に遭遇し5ヶ月のリハビリで漸く完治した矢先に、今度は左側の臀部(尻)から脛にかけて痛みが生じて、歩行に支障が出てしまいました。アキレス腱のリハビリ終了後、秋に運動を再開し、暮れにはゴルフも久々に楽しんだのですが、その際無意識に右足を庇ったせいか左の臀部(尻)に軽い筋肉痛が出たのです。それはそれで普通に行動するのに問題はありませんでした。ところが、正月明けにとある神社の階段40段ほどを昇り降りしたあと、その夜になって歩行が引っかかるようになり、翌日やむを得ない事情で外出したのも良くなかったようで、症状が悪化したものと思われます。目下近くの整体マッサージで治療していますが、通常なら徒歩15分のところをタクシーで通うという状況です。身体能力には相当の自信があったので、この状態にはかなりメゲています。回復には少し時間がかかると思います。

アキレス腱の治療の際は、「目標は来シーズンもスキーをする」ということだったのですが、足は回復しスキーシーズンも到来したのに、今回のことは実に無念です。
70歳を過ぎてから、軽度とはいえ脳梗塞により初めての入院を経験し、足の打撲による1ヶ月の治療、アキレス腱、そして今回の症状と続くと、流石に「歳なんだなぁ・・・」と思わざるを得ません。治療担当のマッサージ師は「前川さんは運動能力が高いし、反応速度が早い。それが却ってよくないから、動き出しは出来るだけゆっくり、穏やかにしないと、またやりますよ」といわれました。褒められたような、叱られたような、妙な気分です。 
今シーズンのスキーは無理かな…。
どうぞ皆さんも十二分にお気をつけください。
今年は後期高齢者になります。ご出席の皆さんは、もう既になっている方、間もなくなる方ばかりでしょう。足元にご注意を。
さて、ここまでが個人的事情です。

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世の中のことは今さら私が言うまでもなく、ひどい時代に入ってしまいました。どうしてこうなったかということについては、もちろん色々思うことはありますが、さて、ではどうすれは良いのかと考える日々です。これも、皆さんと同じでしょう。
 先回りしていうならば、状況がここまでひどくならなければ、後は次の世代が頑張るしかないね、色々問題はあるけれど、我々の時代はまぁこんなものか、とかなんとか言って終わったかもしれません。
しかし、そうも言っていられないのが、<3.11>以後の、特に現政権になってからの状況でしょう。

いくつかの<思い>をメモしてみます。酒の肴にでもしてください。

1.自分の生きる時代は自分では選べないが、その時代とどうかかわるかは自分で選べる。
2. 世界は(つまり、日本も)間違いなく流動化、液状化し始めた。20世紀的構造の崩壊・・・。
3. 改めて<自分の立ち位置>を確かめたいと思う。
4. だから、この秋国会前に2度ほど行ってみた。
5. 今、この国に希望というものがあるとしたら、SEALD‘sなどの若者たちだろう。ネットで聞いた彼等のいくつかのスピーチに、何度かホントに感動した。
6. けれども、彼らもどこかで、①政治的組織の問題、②合法的運動と非合法的抵抗、というテーマに直面するだろう。それは、装甲車に封鎖された国会前道路と国会構内という空間における権力関係の問題だからだ。
7. 60年安保、あるいは全共闘運動の歴史的評価と継承はありうるかだろうか。
8. <戦後>とは何か、あるいは<日本と世界の近代の関係>をどう考えるか、そして今なお近代以前の世界に生きている人々の<生>はどう考えれば良いのか。
9. 少し、具体的にいうならば、現政権の<歴史認識>を突き詰めると、日米同盟(対米従属)という政治テーマとフリクションを起こすはすだ。この捻じれをどうするか。最終的には前者を基本とする路線が露呈すると推測するが、どうだろう。
10. その時、第二次大戦の戦勝国が作った<構造と理念>とのバッティングは避けられない。そこで何が起こるのだろうか。もちろん、そうさせないためのActionは何か。
11. 一方、「護憲」を政治的選択の基本とする場合、ナショナリティー(国家と自己との同一性)の問題をどう考えるのか。また、国際関係におけるこの国のポジション、例えば「核の傘の力学」をどのような論理で受け止めるのか乃至は排除できるのか。あるいは、自衛権という概念そのものをどう認識するか、これまで明確には詰め切ってないテーマに向き合うことは避けられない。
12. <「戦後」の終わり>のアポリアである。
13. 「<戦前>の思考」(柄谷行人)を読みなおした。「戦後入門」(加藤典洋)を読み終わったところだ。あるいは白井聡の著作などからも刺戟を受けた。併せて、「近代の超克」論に強い関心がある。もちろんそれを肯定するのではなく、なぜそのような思考がありえたのかという意味である。特に、竹内好のアジア論は、改めて再読、再検証されるべきであろう。
14. また、ドキュメンタリー映画「広河隆一 人間の戦場」から強いメッセージを受け取った。フォトジャーナリスト広河隆一は、ほぼ同世代である。パレスチナ-チェルノブイリ-フクシマと取材する彼は、私たちに「サボるなよ」と語りかけてくる。
この映画を上映している映画館には、他の自主的・実験的映画のチラシが並んでいる。そこにも、些か切ないが<希望>というものを感じた。
15. 2011年、大震災から9か月後だったが東北被災都市数か所に足を運んで経験は大きい。フクシマには入れなかったが…。
16. ・・・というようなことを「放送人の会」の<放送人ブログ>「前川日記」&「SPECIAL」に書いている。ご参照ください。
http://hosojin.com/a-blog/
17. 「放送の現在」については、それについてのノートを書いているところ。
18. さて、それでは「何を」あるいは「何処を」足場にしたら良いのだろうか。
これは、それぞれの人の経験と様々な関係によるものだから、それぞれで考えるしかないのだが、やはりSEALd‘sが一つの核になって形成された「市民連合」の運動と連携することなのだろうか。もはや古い型の運動ではないだろう。
19. また、先ほどのブログで発言したり記録したりということもあるはずだ。
直接的な行動でなくても、自身の「戦後」あるいは「戦後の終わり方」についての記録を書いておく意味はあると思う。個人としても世代としてもそれはやっておくべきことなのだ。
20. 後期高齢者になって、それからの時間をどう生きるかはもちろん大事な問題なのである。今の時代の「終活」は、そのようなこと、つまり<語り、そして記録する>こと、も含まれるようだ。

・・・ということを、皆さんと語れると良かったのですが、前段に書いた事情のため、残念ながら今回はそれが出来ません。またの機会にしましょう。
その時、状況はどうなっているのでしょうね。破滅的にしてはならないけれど、今より格段に良くなっているとも思えないのですが、どうでしょう。


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