HOME > Special > [自分で自分が生きる時代は選べないが、自分が時代とどうかかわるかは選択できるではないか]-メディア状況の中の「放送人の会」- 前川ノート

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2015年は政治とメディアの関係が、緊張を増した年であった。2016年はさらにその度合いを強めるであろう。「放送人の会」にとって、この1年間の意味を捉え返しておくことは、今後の<私たち=放送人>と時代との関係を考えるために欠かせないと思う。<私>にとって「放送人の会」とは何か。そのときどきに考えたこと、継続的に考えてきたことを、ノートした。また、以前書いたもので「<今>に関わる」ものを引っ張り出して切り張りしてみた。こうして、私なりに2016年の入り口を考えた。
 これは、誰のためにではなく、<私>のためにノートしておきたい。

Ⅰ.放送人の会「安保法制に反対する有志の声明」・私的総括
Ⅱ.放送人は「放送法」の現在的意味を問うべきだ
Ⅲ.では、「放送は規制の外に出られない」とはどういうことか。
Ⅳ.<状況の劣化>と<制作者にとって楽な時代などなかった>の交点
・・・文化で政治を撃てるか
シンポジゥム「戦後70年 テレビは何を伝えたか~被害と加害のはざまで~」
Ⅴ.国家と個人 
「放送人の世界 相田洋~人と作品~」
-私たちは、問うべきことを70年間問うてこなかったのではないか-
Ⅵ.広河は私に確認させてしまった、「サボるなよ」と。
-「広河隆一 人間の戦場」を観た-
Ⅶ.<「戦後」の終わり>のアポリア
-「戦後入門」(加藤典洋)を読む-
Ⅷ.取り敢えずのまとめ。
  -2016年の<私>のポジションは何処か-
*. テレビ論についてのメモ

Ⅰ.放送人の会「安保法制に反対する有志の声明」・私的総括

*「声明」及び「声明についての会員の意見」、経緯については<放送人ブログ 2015.9.12.>を参照

「放送人の会」の名前で、状況との関係を対外的に意思表示したのは、「有志」の名前とはいえ初めてのことであろうか。この「声明」は「声明」そのものより、会員が個人として「声明」どう向き合ったかということに意味があると考える。
7月理事会で「声明」についての提案があり、これを踏まえ、それよりも会として「テレビは戦争をどう伝えてきたか」という趣旨のシンポジゥムを開催すること、そのような「開かれた場」の設定こそ会としてありうべき行為であろうということが合意されたのであった。しかし、そのうえで「やはり会としての声明」を強く求める意見が提起され、会員の意思表示について会としてどのように対応するかという意見交換を経て、<「有志の声明」+会員個人の意思表示>という形が選択された(9/12.)。
 「有志の声明」が出されたこと、そしてそれについての会員の意見の集約が“乱反射”的とはいえ会員に共有されたことは大きな経験であったといえるだろう。

以下は、これについての個人的総括であり、また会としての議論の意味を記録しておくべきだと考えて書いたものである。

[<有志の声明と放送人の会>についての私的総括]
1. この“状況”において「会」のあり方を考えるという点で、この<提案>の意味があった。この<提案>は、時代がすでに私たちに問うていることを明示したのであり、このことを評価する。
2. 会員に向けての問いかけに付された「基本的考え方」(会長名文書)は、今後も会としての一つの原則足り得るであろう。
3. 但し、<放送人の会が、「自由な意思表示を行うことのできる会」 だ、というのはその通りだとしても、自由を抑圧する意見や考えを主張する 「自由」、論理的、 科学的に通用するはずのない妄言を振りまわす 「自由」 は、わが会では絶対に認められないものだということだけは、はっきりさせておかなくてはなら ない>という指摘が会員からあった。同感である。併せて、「他者の人格を否定する発言」も許されない。それは、放送人としの自己否定である。
4. 個人の意思表示はその人によってのみ代表され、その人の責任において表明される。
今回の「声明」の公開が、そのように構成されたことは合理的であったと考える。
5. また、同時に「賛同しない自由」あるいはより広く「意思表示しない自由」もありうる。
6. 「踏み絵を踏ませるな」という指摘があったが、これはまことにデリケートな問題である。「踏み絵は」声明への賛同かどうかに拠るのではなく、時代そのものが私たちに問うているものである。「踏み絵を踏まない」自由はそれぞれのものだが、それは他者から求められているのではなく、自らに問うべきものであろう。
7. そのうえで、「声明」に関して多様な意見が提示されたのは良かったと考える。もし、それが一色に塗り上げられたことを考えると、たじろぐ思いである。
8. 「声明」についての意見集は、会員の意識の乱反射であり、そのドキュメントである。
9. 「声明」の公表というアクションをより効果的にすることを求めるのであれば、「会」を超えた広がり、訴求力を求めてしかるべきである。運動とはそういうものである。例えば、SEALDsのSがSTUDENTであるように、「放送人の会」の<放送人>の英語表記BROADCAST CREATORSのBを採ってBEALDsという形態はあり得るかどうか、運動論・組織論として考える意味はある。但し、これは「会」としての選択ではない。
10. そのうえで、状況におけるこの会の<あり方>とは何か、そして「放送人」とは何か、という問いはそのまま残されている。なぜならば、<時代>そのものを私たちは選べないが、<時代>にどのように関わるかは私たちが選択できるからだ。
以 上


[補遺] 私は安保法制審議中に2度、国会前に行った、自分の立ち位置を確かめるために*。参院議決当日、国会前道路は装甲車に取り囲まれて人々は狭い路上に押し込まれていた。国会前道路も、国会構内も、人々に解放されるべきだと思った。選挙も代議制も民主主義の形式であり方法であるが、それは民主主義原理そのものではない。人々が政治空間に直接参加することは、原理的に排除されてはならない・・・などと思いつつ、1960年6月のことを思い出していた。“あの南通用門”も閉じられていた。だが、「知は身体的なものだ」という、“あの時”のみずみずしい感覚を、少しだけ覚えていることに気付いた。
そして、SEALD’s-<もし、この国に希望というものがあるとしたら、それは彼らだろう>
だが、その<希望>にどれだけの可能性があるのか、先は見えない。
 *.「放送人ブログ」<前川日記>2015.9.1~.
    国会前にも行ってみた・・・自分の立ち位置を確認するために。」  

   「放送人ブログ」<スペシャル「1960年6月のことなど」>
  

Ⅱ.「放送法」の現在的意味

 この1年、政府・与党による放送への介入干渉が続いた。その焦点は放送法4条である。BPOは、こうした放送への圧力を憂慮し2度にわたって批判している。また、BPO委員である是枝裕和氏は自身のブログで放送法制定の経緯を踏まえ、その法の趣旨と論理構成についての論文を掲載している。実に丁寧に放送法を読み解いている。
 一方、放送界そのものからは「BPO(意見)を尊重する」との表明はあるものの、自身による放送法の意義と放送事業者としての対応について、明確な意思表示はない。これは、まことに不可思議な事態である。まず、放送事業者が政府・与党の干渉に直接的に抗議するとともに放送法とは何のための法律か、放送局の存在理由は何か、免許制度のもとでの言論表現の自由は如何に実現されるべきか、等々について語らなければならない。放送局経営のそれは原点であり、経営哲学である筈だ。
それは、放送人にとっても同様である。
 公権力あるいは国家という存在との緊張感を喪失したところに放送人の立ち位置はない。

 というようなことを思いつつあるときに、読売新聞に<意見広告>として、TBSの「ニュース23」コメンテイター岸井氏批判が掲載された。直感的に、戦前の国体明徴運動、「天皇機関説」への論難を思い出した。ここでも、放送法4条が論拠にされている。読売新聞は「意見広告」なのだから、編集方針とかかわりないというのであろうが、しかしそれは新聞社としての経営理念の問題であろう。
 TBSは「局に寄せられる意見の一つと受け止めている」という認識のようだが、それは違う。これも局としての経営理念、局の存在理由に関わる問題だと認識しなければならない。そうでなければ、局として論外の対応になる。仮に「4月の改変期のキャスター交代は予定通り」だとしても、こういう状況下では力技でも半年先に延ばしたらいい。それが、局のプライドであり、分かりやすく言えば意地というものだ。

・・・とここまで書いたところで、事態は次のようになったようだ(1/15.)。
岸井氏はTBSと専属契約を結び、同番組(ニュース23)を含むTBSのさまざまな報道・情報番組に随時出演し、スペシャルコメンテイターとしてニュース解説や論評を行うという。ウーム、コレってどうなんだ。岸井氏の意志だとすれば、なかなか強か。それとも相当の知恵者がいるということか。

 さて、それでは放送法4条とは何か。
第2章 放送番組の編集等に関する通則
(放送番組編成の自由)
第3条 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。
(国内放送等の放送番組の編集等)
第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 放送法第2章番組編集準則第3条及び4条は倫理規範として「事業者による自律」を趣旨としていることは、これまで行政も含めて<放送関係者にとっての共通認識=“常識”>であった。特に、4条二項「政治的公平」とは、公権力からの自立を意味しているのであり、また四項は「一つの番組を対象にしていない」とされてきた。私はメディア企画担当として放送制度にも関わったが、行政の立場からも「放送法ほど憲法との関係を直接的に反映している法律はない」としばしば語られていた。行政が法制度に詳しいのは当然であるが、その中でも法制度に精通しているといわれた金澤薫氏(元事務次官)が著した「放送法逐条解説(改訂版)」(情報通信振興会)においても、「本法の規律についても一義的には放送事業者の自律に任せるべきであり、政府による公権力の行使は極力避けるべきである」と記されていることからも明らかである。この記述は、「表現の自由」(憲法21条)との関係を踏まえた論理構成となっている。
また、政府与党関係者が度々言及する放送法174条(業務の停止)あるいは電波法76条(無線局の運用停止・免許の取り消し)についても「第一義的には自主規制によるものであることを念頭に置き厳格に行う必要がある」とされている。放送法(電波法)体系は、その法の趣旨において行政の側からさえこのように抑制的に適用されるべきであると認識されている規制体系なのである。
このことが具体的に法的に示されているのが、放送局免許が施設免許であって事業免許ではない(間接規制)という点である。つまり、あくまでも番組編集は、放送事業者の自律を前提としているのであって、いわゆる基幹放送メディアにおけるハード・ソフト一致原則(無線局免許所有者が番組編集責任を負うこと)も、その自律性が電波法・放送法体系として法的に構成されているが故に成立するのである。この間接規制という考え方は、周波数監理と表現の自由との関係を両立させるなかなかの工夫であるように思われる。もちろん、そこでは行政裁量が働くのであり、したがって放送事業者はその緊張関係を承知しつつ主体的なアクション(報道・編成・制作行為)が求められることはいうまでもない。
放送法と民放との関係でいえば、民間放送(一般放送事業者)の存在それ自体が「言論の多様性・多元性・地域性」という<放送の理念>の具体的表れであり、それが「放送法」の存在理由の一つであるあることを思い返す必要があろう。
というようなことを思いつつ、ネットで是枝裕和氏の放送法論を読んだ。先に触れたように、的確な論考に感心した。

「放送」と「公権力」の関係について~NHK総合「クローズアップ現代」“出家詐欺”報道に関するBPO(放送倫理検証委員会)の意見書公表を受けての私見~
誰が何を誤解しているのか?
~放送と公権力の関係についての私見②~


そのうえで、映画監督であり、制作会社テレビマンユニオンのメンバーである是枝氏がこれだけ放送法と放送番組についてきちんとした認識に立って発言をしているのに、放送局からこの問題について直接的な発言が聞こえてこない。BPOを防波堤にして、自分はトーチカに入っているつもりなのだろうか。放送は規制の外には出られない、それは原理的問題なのである。規制とは何か。何故規制があるのか。規制の下での自由とは何か、などなどは、局がまず考えるべきことなのだ。それは、メディア担当者、法務担当者の問題でもなければ、民放連が代弁することでもない。まず、放送局経営者が「放送の哲学=経営哲学」の問題として、さらにはジャーナリズムの原点として考えるべきことなのだ。

[補遺]私的放送法体験
郵政省、総務省との関係は、メディア企画担当になった1984年からリタイアした2010年までだから、かなり長かった。ハイビジョン、BS参入、地デジが主な関係だったが、制度問題についてもいろいろ議論をした。役人と法律論争をしても勝ち目はない。それは、ロジックの問題ではなく、裁量の問題だからだ。それでも、こんな経験はある。
あるとき、当時の郵政省の幹部と話をしていて、「役所の存在理由ってなんだと思いますか?」と聞かれた時がある。与党による番組介入に関することだったと思う。彼ら曰く、「役所の行動原理は法律です。若し、政治が法を超えて介入しようとすれば、役所はそれに抵抗します。“政”と“官”はそこが違います。」
政と官の力学が違うことは良いことだ。その時、チョット感心した。しかし、今“政”による“官”の支配が進行している。これも55年体制の終焉の一つであろうか。

Ⅲ.では、「放送は規制の外に出られない」とはどういうことか。

<「ネットモバイル時代の放送」*より>
*日本民間放送連盟編 前川他共著 2012. 
  第9章 <3.11>はメディアの現在をCTスキャン[断層撮影]した-マスとソーシャルを
  考える- (前川英樹)

「私たちが3.11.に見た津波の中継映像が圧倒的だったのは、この状況と(情報と)*の同時進行性にある。放送は何故免許制度の下に置かれているかといえば、一般的には周波数の有限厳希少性や社会的影響力の大きさなどの理由が挙げられている。加えて、技術的には混信防止のための周波数監理という事情もあるだろう。しかし、本質的には権力による<時間管理>という電波メディアの構造に関わる理由があるように思われる。つまり、<状況と(情報と)の同時進行>とは、権力の管理を越えて電波メディアが本質的にもっている<時間制=連続性>が剥き出しになっている状態なのであって、あの津波映像はまさにそのようなものだったのだ。もちろん<津波>がその時に政治的現象だったと言っているわけではない。
 * 本稿のための補足
こうした電波メディアの潜在的・本質的特性が、放送の規制原理として国家によりどれほど意識されているかは定かではない。しかし、もし放送が自ら言論表現の自由について語るならば、この<管理を越えた時間>をどう認識し、論理化・方法化するかということは避けられない。このことは、編成という行為の根本問題でもある。編成とは、個別の番組のラインアップだけでなく、ある状況で<同時進行>的行為を選択し決断する行為でもある。その意味で、(1)権力の時間管理、(2)放送局の経営意思、(3)編成判断、(4)場に向き合っている記者は、時間性を巡ってそれぞれに原理的な緊張関係におかれる<はず>である(原則的には(3)は(2)を代行すると考えてよい)。
20世紀後半の世界史的な政治環境の変化(しばしば、革命と呼ばれる)で、放送局をどの政治勢力が支配するかが重要な争点であるのは、国家という空間管理のためには、時間管理が必須の条件だからであろう*。テレビ・ラジオの情報は、このような形式=関係として作りだされる。
*.本稿のための筆者による補足
昭和20年、満州国崩壊の際に満州映画協会(満映)の映画機材の所有を巡って、ソ連軍、国民党軍、共産党軍が争ったという。こここでも、権力闘争とメディア関係が物語られている。

ソーシャルというネットワークで形成される情報空間において、情報発信者が随時情報を公開し更新することができるのに比べれば、放送は放送という形式の外に出られない。「インターネットの自由」とは、マスメディアである放送に比べれば、個的なつながり(ネットワーク)によって形成され、はるかに融通無碍であり、管理の困難性は高いということだろう。さまざまな情報が自主的に交換されることで、中心が不在の、あるいは多心的な空間ないしは関係が成立する。」


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そのうえで、次のように考えてはどうだろうか。
シンポジゥム「ネット時代、放送はシーラカンスになるのか?」(放送人の会2008年) のポイントを本稿のために書き改めてみた。(図参照)

□ テレビが構成する情報空間
1.この情報空間の基本は「テレビのライブ性」であり、その危険を予見したため「免許
制度」が適用された。このテレビメディアに構造的に組み込まれている緊張感を喪失すると、テレビはただの電子メディアになる。
2.テレビの情報空間は、社会的に三点で構成されている。
 ①異議申し立て機能(先行する活字メディアから継承)
 ②共通の意識空間の形成(「想像の共同体」)
 ③大衆の眼差しの集約(欲望の集約)

 ①はジャーナリズム(言論表現の自由/市民)に、
 ②は社会安定装置(想像の共同体/国民)に、
 ③はエンタテイメント=広告産業(大衆の眼差しの集約/消費者)に、
それぞれ対応している。
その中心にあるのは、テレビの<時間性>という特性であり、その「危うさ」故に、国家は周波数監理=免許制度を適用している。つまり、規制=免許とは、①、③より②を優先させることで、「時間管理による空間管理」を目指すシステムである。だから、「放送は規制の外に出られない」のである。
しかし、であるが故に、「放送における“自由”」を考えることに意味がある。放送のあらゆるジャンルがジャーナリズムであるとすれば、制作者も経営者も放送に構造的に組み込まれている<規制>と向き合うことで、放送における<自由>をより深部から問い返すことが可能になるし、また問い返さなれば「何のために“そこ”にいるのか」という問いが、それこそ問い返されるであろう。
□ 参 考
・いうまでもなく、この発想はTBS闘争における「テレビジョンは時間である」という提起が原点
である。
「お前はただの現在に過ぎない」(1969.萩元 村木 今野)/2008.文庫版再刊
「ぼくのテレビジョン」(1971.村木)  
・「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)
<近代=あらゆるものの均質化=時間の多様性の喪失>
・<大衆のまなざしの支配>(「近代のグラフィズム」柏木博)
<ロシア・アバンギャルドもハリウッド映画も対外宣伝雑誌「FRONT」も、形式が同一なら、その表現の意味は基本的に変わらない>
・<現実の問い直しは、もはや哲学からではなく、ヴァーチャル・リアリティーとその技術からや
ってくる>(ジャン・ボードリヤール)
3.三点構造は、図式化すると一見極めて安定的に見えるが、実態はそうではない。
この三点の力学は常に変動的・相乗的である。
4.では、テレビ番組の制作は、どのような関係におかれるのか。
5.様々な制約の中で、制作者はこの関係の何処に身をおくのかと理解されがちだが、実はそうではない。
6.この関係全体とどう向き合うか、どこでこの安定的な関係を突破するか、そこに主体性がある。不安定性=リスクが表現の原点である。
7.そこに「テレビ的表現」が成立する
8.これは、同時にテレビ局経営者にとつても同じことなのである。
9. では、インターネット上の情報について、このような問題意識はどのように成立するのか。あるいは、問題意識は不要なのか。
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 テレビジョンが以上のような構造であるとして、そこにもう一つ付け加えるならば、次の点であろう。
テレビジョンは<技術>に強く依拠し、かつ<表現>に深く関わる存在である。
では、技術とは何か、「技術中立性」はありうるか、そもそも通信は国家管理と無縁ではなかったということをどう考えるか。ここでも、「放送は規制の外に出られない」というテーマと、そこに於ける表現の問題が浮上する。
しかも、表現が美を追求するというベクトルを否定できないとすると、<美それ自体>という概念は成立するかという問いが浮上する。<大衆のまなざし>に依拠するメディアとしてのテレビジョンであればこそ、その背景として政治と<美的なるもの>との関係もまた問われることになる。ファシズムにも美学はあったのである。*
*  映画「風立ちぬ」の抒情性について・10の断想 前川英樹 より     
「しかし、美しいものは美しい。
戦争兵器にも機能美はある。ファシズムにも美学はある。
レニ・リーフェンシュタールが監督したナチ党大会の映画「意志の勝利」、ベルリンオリンピック記録映画「オリンピア」(第1部・民族の祭典 第2部・美の祭典)、日本の海外向け宣伝雑誌FRONT”のことなどを思う。馬場マコトの「戦争と広告」に登場するデザイナーたちのことも。
美を追求する者が、(アニメ映画「風立ちぬ」の主人公のように)みな高原の療養所の世界に閉じこもるわけにはいかないとすれば、ではどのような仕事、どのような生き方がありえたか。そしてありうるか。
危機の時代に、「人物の内面の微かな気分のゆれ動き」だけを書いていればよいというものでもあるまい(加藤周一は「日本文学史序説」で堀辰雄の“風立ちぬ”について<(人物の内面の微かな気分のゆれ動きだけを書くことで、それは)ほとんど文学的抵抗のようにさえ見えた>と書いている)。かくして、アニメ映画「風立ちぬ」の論点は、「表現は(あるいは技術は、政治から)自立し得るか」という、古典的といっても良い一点に収斂する。」
註 映画「風立ちぬ」で、零戦設計者堀越二郎は「鮭の骨のように美しい曲線の飛行機を作りたい」と思うのだ。
註 リーフェンシュタールがナチ党員だったかどうかは、関係ない。
()内は、本稿のための補足
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 このように放送法、放送制度の問題を考えてくると、「放送人の会」として<制度問題プロジェクト>が成立してもおかしくない・・・というか、そのような活動があってしかるべきであろう。
それだけの力量(人、金、能力)があるだろうか、私たちに。

Ⅳ.<状況の劣化>と<制作者にとって楽な時代などなかった>の交点
―文化で政治を撃てるか―

「戦後70年 テレビは何を伝えたか~被害と加害のはざまで~」(主催:放送人の会・明治大学社会思想史研究会 明大和泉校舎図書館ホール 2015.12.6.)のこと。

議論はやや拡散的だったが、①天皇制の意味とその現在が思いのほかはっきりと浮き彫りにされたこと、②<”自虐”の登場以来のメディア状況の劣化>と<制作者にとって楽な時代などなかった>という論点が交錯しないままだったこと、この2点が強く記憶された。そして、「<近代の超克>をどう超克するか」という意識は、私の中で今回もそのまま持続している。(「放送人ブログ」<前川日記>より)

 もう少し踏み込んでみよう。


① 被害と加害
「放送人の会」がこのシンポジゥムを企画したのは、「安保法制に反対する有志の声明」
についての議論で、<会としての「声明」より、そのことを語れる「場」としてのシンポジゥム>という提言があったからだった。
(Ⅰ章<私的総括>を参照」
② 少し遡れば、2014年「日韓中テレビ制作者フォーラム」で日本参加作品「基町アパート」(NHK広島)を巡る中韓両国からの批判<戦争が「始まった」のではなく、戦争は日本が「起こした」のだ>をどう受け止めるか、ということの継承でもある。
③ 自らの加害を捉え返すことにより、他者の加害を対象化することが可能となる。そこから、歴史における人間の責任を語ることができる。
「広島、長崎の原爆投下」にいての論点も、そこに関わる。
④ さて、そうであるとして、戦闘における勝者を加害者、敗者を被害者とは呼ばない。
被害者とは戦闘員ではなく基本的に生活者であり、加害者とは国家(=軍)あるいは国家意思の代行即ち<政治的表現としての加害>を行う者であって、それは権力の行使である。もちろん<生活者>も兵となれば国家意思の代行者として加害者になる。。個々の加害者の意識の問題ではない。
⑤ 生活者と政治
「政治の幅はつねに生活の幅よりも狭い。本来生活に支えられているところの政治が、にもかかわらず、屡々生活を支配しているとひとびとから錯覚されるのは、それが黒い死をもたらす権力を持っているかに他ならない。」(埴谷雄高「幻視のなかの政治」・序詞 権力について)。
「錯覚」とは、即ちそれ自体が政治的なるものである。したがって、生活者として存在することは、既に政治的なのである。埴谷雄高風に言うならば、権力はその錯覚を放棄することはないであろう。
⑥ 「民主主義とは何だ」とSEALD’sがいう時、それは<錯覚>の解除あるいは転倒であり、それはある種の<革命>である。
⑦ しかし、「戦争における加害と被害の関係」においては、その錯覚が直接的に「黒い死をもたらす」現実として現前化する。
⑧ 政治と生活の<政治的関係>がそうであるとして、「にもかかわらず」、あるいは「であるがゆえに」、メディアに関わるということにおいて、「政治」に対してもう一つの「政治」を対峙させる選択は不毛である。
⑨ 埴谷の箴言の「生活」を「文化」と置き換えてみよう。政治と文化の関係の逆転、「文化を政治の風下においてはならない」とは60年代の一つのテーマであり、あのTBS闘争においてもそのように語られた。50余年後の現在もそれは変わるまい。
⑩ シンポジゥムで「”自虐史観”と呼ばれる(反知性的)歴史認識の登場以来、メディア状況は著しく劣化してきた」(金平発言)という指摘がなされた。この時代の酷さにどう抗するか、それがメディアにとって極めて重要な今日的課題だ、ということだ。
⑪ これに対して、「制作者にとって“楽な時代”など一度もなかった」(今野発言)という発言が対置された。その交錯する地点で議論は深められなければならなかったのだ。
⑫ 思うに、「“楽な時代”など一度もなかった」から「状況の劣化」を放置する乃至は容認するのではなく、「状況の劣化」を制作者(文化)としていかに“撃つ”か、ということこそ、「放送人」の立ち位置であろう。
文化を政治の風下におかないとは、そういうことなのではあるまいか。
⑬ 「劣化の進行」により、ますます「楽な時代」でなくなりつつあるのだから、制作者の仕事は尽きないはずである。
⑭ かつてこう書いたことがあることを思い出した。
「メディア論から政策は生まれない。政策とはそういうものである。しかし、メディア論から政策を撃つことは可能であり、それにより生まれる両者の緊張がより高度な政策を生む。」(「テレビジョンとインターネットの『入れ子構造』という仮説について」(2006. 前川)
⑮ 個人として否応なく<状況に関わる>ための選択から逃れられない時代に入ってしまった。(錯覚であるにせよ)存在することそれ自体が政治的であることは、まさに埴谷雄高が見抜いたとおりである。
⑯ だから、<文化から政治を撃つ>とは、根源的な地点で文化的であることであり、それがテレビ的ということであろう。
⑰ Ⅱ章で制度についてスケッチしてみたが、放送人が制度を考えるということは、メディア論との関係で語られるべきだろう。

Ⅴ.国家と個人
-私たちは、問うべきことを70年間問うてこなかったのではないか-


「放送人の世界 相田洋~人と作品~」(主催 放送人の会・上智大学情報メディア学科 12/11,12.上智大学)

(「放送人ブログ」<前川日記>より・一部修正)
「解体~興安丸の一生」は、引揚船興安丸解体の記録の間から、中国における日本人の体験(加害)と、日本における中国人の体験(被害)、が見事にモンタージュされている。

あるいは、相田氏が構成する無差別爆撃の記録からから私たちは何を読み取り、何を問い返すか、そのことが迫ってくる。
「東京大空襲」、その時私は4歳。都心から少し離れた江戸川を超えたところに疎開していたはずだ。最初の記憶の一つは探照灯に照らされたB29(だろう、多分)である。思えば、その時代をどう過ごしたのかは定かではないが(その時父不在、母は敗戦直後に死亡、身近に誰も語ってくれる人がいない)、良く生きてきたものだ、と思う。生き残った者によって歴史は語られる。死者の歴史は誰が語るのだろう。ドキュメントの意味がそこにある。

旧満州引揚者の相田氏は、「<あの時>国は人々を棄てた」という。
その思いから、引揚者へのこだわりがモチベーションとなって「解体~興安丸の一生」(1971)や「移住~31年目の乗客名簿」、そして「母と歩いた道」(これは、母の介護と満州生活や引揚体験を重層的に記録した作品)が制作された。電子技術も自動車も、そういう思いでドキュメンタリーにしてきたのだ、とも。

この発言を聞きながら思い至ったのは、「戦後入門」(加藤典洋)の一節だった。
後に作家になり「べ平連」の中心を担うようになる小田実は、少年時代に大阪空襲で逃げ回ったときに、そうして多くの死者とともにあるときに、彼の中に<個人と国家の乖離の意識>が生まれたという。これについて、加藤典洋はこう書いている。
「そのときの国家原理は『大東亜共栄圏』であり『天皇陛下』でした。戦後、それは『自由』と『民主主義』に変わります。でも、戦後も、その新しい国家原理との間に、『くいちがい』の感覚は消えずに残った、そう彼は述べるのです。」その感覚(国家に担われた自由と民主主義という<国家としての普遍原理>と<個人>との乖離)が、小田実においてはベトナム反戦につながっている、ということなのだ、と。
<敗戦>ということと「戦争について問うことの放棄」は違う。私たちの<戦後>における主体性の問題がここにある。私たちは、問うべきことを70年間問うてこなかったのではないか。
自らの加害責任を認めることは、同時に他者の加害責任を問うことを可能にするのである。それは、国家の問題であると同時に、個人責任<個人と歴史/世界との関係>の問題でもある。国家に背負わせればそれで良いというわけにはいかないのだ。さてそれでは、放送人にとって<国家>とは何だろう、

そして、もう一つ。<個人と国家の乖離の意識>を、戦前の日本人は何故思想として取り出せなかったのだろうか。それが<近代の超克>の問題なのである。今その<乖離>をきちんと取り出しておかないと、このさき再び<近代の超克>が再生しかねない。そこに<戦前の思考>(柄谷行人)という提起のあり方の緊張がある。

だから、相田ドキュメンタリーは、相田氏の極めて強い個人体験職が底流にありつつも、そこからそれを超えた日本の近代思想の<原点>が見えてくるのである。制作された番組は、制作者の意図や籠められ思いはるかに超えて、<見られることによる独り歩き>が始まるのだということの、まことに分りやすい、かつ強烈な事例であるように思われる。
というようなことを思いつつ、そういえば、あるとき、「一神教、貨幣、国家がなかったら、人々はもう少し幸せではなかったか」と語りあったことがあったことを、唐突に思いだしたのだった。

Ⅵ.広河は私に確認させてしまった、「サボるなよ」と。
「広河隆一 人間の戦場」を観た。

[監督 長谷川三郎 プロデューサー 橋本佳子 制作 ドキュメンタリージャパン]

 このドキュメンタリー映画は、今年「放送人の会」が経験したメディア状況にしっかり食い込んでくる。見てしまった以上、この映画については避けて通れない。放送人としてこのドキュメンタリーをどう見るか、これはなかなか大事な問題だ。
(以下、「放送人ブログ」<前川日記>再掲。一部修正)
フォトジャーナリスト広河隆一の“仕事”は、[パレスチナ-イスラエル関係]から始まる。まず、そこに強く共感する。
なぜならば、パレスチナ問題は、現代世界の根源的意味を持つと思うからだ。
(加藤典洋に倣って言うならば)第二次世界大戦(あるいは20世紀的秩序)の意味付けが、<連合国=民主が枢軸国=ファシズム(反民主)に勝利した戦争>として定着されたとすれば、そのポジがイスラエル、ネガがパレスチナということか、と思うのだ。

映画は、イスラエルによるパレスチナ入植と、それに対する微かなしかし強かな抵抗の数分間のイントロダクションがあり、それを切断するように<東京の情景>が映し出される。パレスチナという非日常と東京の日常。この衝撃的な構成に圧倒された。
いや、そうではない。パレスチナの日常と東京の日常。
では、東京の、日本の、私たちの非日常とは何か。
そう思わせてから、広河の仕事はフクシマとチェルノブイリの日常-非日常に向き合う。


どのような人々にも<幸せに生きていく権利>があるのであって、それがジャーナリストの背中を押すのだ、彼はいう。
そういうドキュメンタリスト広河を、ドキュメンタリー監督長谷川が追う。その二重構造が<現代>という状況に対する視点を重層的に提示している。それが良い。

私と広河はほぼ同世代だ。
その広河隆一は「体が拒否しても、行かなくていい理由がない」という。
彼の圧倒的存在感が私を刺戟する。
今さらフォトジャーナリスト、あるいはそのようなものになれるわけもないが、では<自分に何ができるのか>と。
「自分で自分が生きる時代は選べないが、自分が時代とどうかかわるかは選択できるではないか」と。
私が<世界を考える>原体験は、一に親との関係(の欠落)*、二に60年安保、三にTBS闘争だ。しかし、思えばそのような体験で世界を考えるということは、良い時代だったともいえるだろう。このまま終われれば、「まあ、こんなもんか・・・」ということで良かったのかもしれない。が、そういうわけにも行かない時代になってしまった。放送に関わる人間にとって、広河の提示した「状況へのアプローチ」は重たいものがある。それは、「劣化する状況」の中の制作者が「(いつだって)楽な時代などなかった」が故に、では現在放送人はどう時代と向き合うかを問うているからである。
広河は私に確認させてしまった、「サボるなよ」と。
さて。残りの時間をどうしようか。

このドキュメンタリー映画、映像も良いが(撮影 山崎裕)、特に音が凄い(録音 森英司)。強く印象付けられた。

* <前川日記番外編 ・・・この季節の雨は、ある情景を思い起させる。自分と世界との関係の始ま りを、私は知らず知らずのうちに意識していたに違いない>

Ⅶ.<「戦後」の終わり>のアポリア
-「戦後入門」(加藤典洋)を読む-


この一冊の持つ意味は大きい。戦後70年についての最も確かな問いがここにあるように思う。いま、放送人であるということを自ら問い返そうとする時に、加藤典洋の問いは外せない。「放送人」とはそのようにして知的行為を引き受けなければならないのである。 この1年の放送人の会の活動として企画された「シンポジゥム・戦後70年 テレビは何を伝えたか~被害と加害のはざまで~」も、「放送人の世界 相田洋~人と作品~」も、こうした知的作業の文脈からもう一度捉えなおしてみたい。
①  加藤は、まず第二次大戦の意味付けを明らかにしようとする。戦勝国の論理(理念と戦後の世界秩序)とは何か、そこから始めるのだ。
② その論理と核兵器との関係、核兵器と戦後の政治力学。
③ そのうえで、日米同盟(対米従属)と自立(“あの戦争”はナシにしよう、という歴史認識)の捻じれ、すなわち現政権の齟齬・矛盾を突く。
④ これに対応していわゆる護憲勢力の論理を究明する。
⑤ そこから、「左折の改憲」、国際秩序と敗戦国日本の原理的関係を憲法に書き込むことによる<9条>の強化を提言する。
⑥ 理念とリアルポリティックスを対峙させることで、政治における<理念>の意味を明快に括り出す。
⑦ 「戦後」とは何だったのか。こちらから問いかけ、そして向き合うことの重要性が良く分かる。
⑧ 「<戦後>の終わり」はこの問いから始まる。
⑨ この問いを“彼等”にさせてはならない。私たちこそ、その問いの主体になること、それが加藤の渾身の“問い”なのだ。

新書版で600ページを超えるという異例といっていい試みは、私には刺激的だった。「この批評家を孤立させてはならない」」という原武史の評に同意する。何故ならば、加藤が取り出した問題は、いわゆる<左>が踏み込まなかったが故に<左>のガードは甘くなり、それが現在の状況に至る一つの要因ではないか、と思えるからである。

 例えば、以下の論点を<私たち>どう考えてきただろうか。
1. 「護憲」という理念/選択と「核の傘の下」という現実とを、どう論理化するのか。自衛権のあり方についいての原理的考察。この時、<理念/哲学>が意味を持つ。
2. 1945年に「敗戦から革命へ」というレーニン的?選択はあろうはずもないが、ゲリラ的「戦争継続」=反連合軍の戦闘は何故起こらなかったのか。*
* 参考
「戦中派不戦日記」(山田風太郎)
「民主と独立」(小熊英二)
・・・そういえば、「民族独立行動隊」っていう歌があったっけ…。
3. 一億玉砕が瞬時に一億総懺悔に転じたのは何故だろう。そこに天皇制の秘密はあるはずだ。私たちは、それを対象化し、思想化してきたのか。これらの論点の回避乃至は見てみぬふりについての検証。
4. 旧左翼とは別に、現在「対米従属=敗戦構造継続」批判が「戦後の終わり方」として論点になっているが、その場合<国家と自分>との関係をどうとらえるのか。ナショナリズムとの思想的あるいは論理的差別化は可能か。
5. その先には、近代国家の在り様そのものについての考察が求められる。
個人と国家との関係、人は国家なくして生きられるか、など。
6. これらを含めて、「何のための敗戦か」、そして「戦後の終わり」をどこから始めるか問題になるのである。*
7. 「歴史は生き残った者によって書かれる、では死者のための歴史は誰が書くのか」。
ドキュメンタリーあるいはテレビジョンの仕事はまだまだ終わらない。


*「『ハンナ・アーレンが』が映画化されたように、『近代の超克』のテレビ化は可能か」(前川 TBS調査情報 NO.522. 2015.1-2.)より

「……が、歴史に<if>が許されるとしたら、次のようなことを考えてみてはどうだろう。若し、そのような(対米)和平工作が成功していたら、数百万の犠牲者は救われ、産業や文化の破壊・消耗は回避されたであろう。だが、そうであったとして、私たちはどのような時代を<今>として生きていたのだろう。欽定憲法による絶対天皇制国家は継続し、大日本帝国の強大な軍事力の下での平和を生きていたのだろうか。さすがに治安維持法はなくなっていたかもしれないが、朝鮮半島と台湾の独立闘争は間違いなく激しく起こっていただろう。で、満州は?
 そのような歴史の<if>を考えることは許されると思う。その延長上に、「日本人は自ら<違う選択>をする力があっただろうか」という、さらなる<if>が来る。
だから、私たちは1945年の敗戦をどう引き受けるか、というところから考えるしかないのだと思う。その引き受け方に決着をつけていないところに、つまり敗戦に至る近代の破綻の仕方に決着をつけていないところに、この国の、そしてこの国に生きている人たちの現在がある。
そう、私たちはチャンと負けていないのだ。そこをはっきりさせないから東京裁判をチャラにしようということになりかねない。「一億玉砕」が一夜にして「一億総懺悔」に代わってしまったその変わり身の中で、そして敗戦後の表層雪崩のような思想転換の中で、その底流にあった「近代前期」の歴史的意味を確かめることを私たちは放棄してきた。その付けが今来ている。だから、くどいようだが「近代の超克」に拘るのだし、その延長の「近代の超克の超克」が思想テーマになるのだ。戦後民主主義のプラス価値を私は高く評価する。だからこそ、それを一つの伝統=歴史の成果とするためにも、戦後思想の知的営為を継承しなければならないのである。」
(内)は本稿のために追記

Ⅷ.取り敢えずのまとめ。
  -2016年の<私>のポジションは何処か-

1.自分の生きる時代は自分では選べないが、その時代とどうかかわるかは自分で選べる。
2. 世界は(つまり、日本も)間違いなく流動化、液状化し始めた。
20世紀的構造の崩壊・・・。
3. 改めて<自分の立ち位置>を確かめたいと思う。
4. だから、この秋に国会前に行った。その場に身を置くこと、その確認のために。
5. 今、この国に希望というものがあるとしたら、SEALD‘sなどの若者たちだろう。ネットで聞いた彼等のいくつかのスピーチに、何度かホントに感動した。
6. けれども、彼らもどこかで、①政治的組織の問題、②合法的運動と非合法的抵抗、というテーマに直面するだろう。それは、装甲車に封鎖された国会前道路と国会構内という空間に包含された権力関係の問題だからだ。そこから、<暴力>の問題が立ち現れる・・・はずだ。
7. もう一つ。彼らにとっての難問は、もちろん私たちにとつても難問なのだが、それは大衆、民衆、生活者・・・つまり普通の人々の意識と行動であろう。普通の人々の運動が普通の人々に裏切られることもある。現実の重さ/空虚さを彼らはどう受け止めるのだろう。その時、彼らは/私たちはどうする。*
8. では、生活者と国家という関係とは別の存在、知的行為者には<今>どのような選択がありうるか。放送人の多くは<生活者にして知的行為者(であるべき者)>であろう。
9. 60年安保、あるいは全共闘運動の歴史的評価と継承、つまり60年代思想の捉え返しはありうるかだろうか。たとえば、「知」の身体性や技術や美の中立性、非政治性あり方などについて、など。
10. <戦後>とは何か、あるいは<日本と世界の近代の関係>をどう考えるか、そして今なお近代以前の世界に生きている人々の<生>はどう考えれば良いのか。
11. 少し、具体的にいうならば、現政権のような<歴史認識>を突き詰めると、日米同盟(対米従属)という政治テーマとフリクションを起こすはすだ。この捻じれを<彼等>はどうするか。最終的には前者を基本とする路線が露呈すると推測するが、どうだろう。
12. 彼らは「あの戦争は間違いではなかった」と世界に言うのか!?
13. その時、第二次大戦の戦勝国が作った<構造と理念>とのバッティングは避けられない。そこで何が起こるのだろうか。そうさせないためのActionは何か。
14. 一方、「護憲」を政治的選択の基本とする場合、ナショナリティー(国家と自己との同一性)の問題をどう考えるのか。また、国際関係におけるこの国のポジション、例えば「核の傘の力学」をどのような論理で受け止めるのか乃至は排除できるのか。あるいは、自衛権という概念そのものをどう認識するか、これまで明確には詰め切ってないテーマに向き合うことは避けられない。
15. <「戦後」の終わり>のアポリアである。
16. 「<戦前>の思考」(柄谷行人)を読みなおした。「戦後入門」(加藤典洋)を読み終わったところだ。あるいは白井聡、内田樹、小熊英二の著作などからも刺戟を受けた。
「理念」あるいは形而上学のリアリティーはとても大事だと思う。今はそういう時代なのである。これは、7.の<思想の身体性>とどう関係するのであろうか。
17. 併せて、やはり「近代の超克」論に強い関心がある。なぜそのような思考がありえたのだろうか。特に、竹内好のアジア論は、改めて再読、再検証されるべきであろう。
18. 2011年、大震災から9か月後だったが東北被災都市数か所に足を運んだ経験は大きい。フクシマには入れなかったが…。
Ⅲ章で触れた<「ネットモバイル時代の放送」>第9章 <3.11>はメディアの現在をCTスキャン[断層撮影]した-マスとソーシャルを考える-は、被災地に行かなかったら書かれることはなかったであろう。 
19. ・・・というようなことを「放送人の会」の<放送人ブログ>「前川日記」&「SPECIAL」に書いている。ご参照ください。
http://hosojin.com/a-blog/
20. 直接的な行動でなくても、自身の「戦後」あるいは「戦後の終わり方」についての記録を書いておく意味はあると思う。個人としても世代としてもそれはやっておくべきことなのだ。
21. いまこの時代に、私が引き受けるべきことは何だろうか。


 敵を恐れることはない。せいぜいきみを殺すだけだ。
 友を恐れることはない。せいぜいきみを裏切るだけだ。
 無関心な人々を恐れよ。殺しもしないし、裏切りもしない。
 だが、この人たちの無言の同意があればこそ、地上から裏切りと殺戮が、あとを絶たないのだ。

ブルーノ・ヤセンスキー(スターリンの粛清により獄死)
・・・ この言葉を教えてくれたのは、TBSの先輩北村美憲さんだった。


そして最後に、ムーブメントとしての「放送人の会」は、ありうるか?

多分ないな・・・。
それは、やはり個々人としての時代への関わり方の問題であり、「会」はそのための<場>として機能することが良いのであろう。
文化から政治を撃つためのベースキャンプのような。

*.[テレビ論のためのメモ]

TBS闘争、そして「お前はただの現在に過ぎない」(萩元、村木、今野)、及び私に強い刺激を与えた村木良彦氏のテレビ論については以下を参照。
いずれも、TBSメディア総研HP <メディアノート Maekawaメモ>

No91.2008.2.1
「追悼 村木良彦さんのこと」

No92.2008.2.15
「もう一度、村木良彦さんのこと」-<エレクトロニクス・コピー・メディア>と<私>-

No93.2008.3.1
「村木良彦氏の<テレビ論>についてのノート・補論」
-テレビジョンの可能性と不可能性-

No108.2008.10.15
[記録の意味-「お前はただの現在に過ぎない」文庫版再刊について ]

No109.2008.11.1
[私的解読・・・「存在論的・テレビ的」]  続・「お前はただの現在に過ぎない」文庫版について

No110.
[自分のいるところが、テレビジョン] -村木良彦さんを偲ぶ会-

MM119.2009.4.1
[テレビ的行為とは何か-放送人の世界・村木良彦-]

MM120.2009.4.15
[テレビジョンの構造転換-補・村木良彦のテレビ論について]


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