HOME > Special > 8月15日に「日本アパッチ族」のことを書く意味。「(憲法)改正が決まると、第九条だけでなく、烏を鷺と言いくるめて、ついでのカマに、旧憲法の基本的人権を、新憲法においては秩序の名のもとに大幅に制限した。」

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この8月15日に「日本アパッチ族」のことを書いておいても良いだろう。2013年に書いたものの再掲だ。リンクで跳べないので、以下にコピペ。
・・・大阪水上バス“アクアmini”は大阪城公園を出ると間もなく寝屋川の本流に合流し、少し下って天満橋をくぐると中之島が近づいてくる。大阪の地理に疎いが、そのくらいの地名は知っている。 ふと、こんな歌を思い出した。
  『梅田ちょいと出りゃ天満橋 二人そろって中之島・・・』
なんでこんな歌を知っているかといえば、小松左京の傑作「日本アパッチ族」(1964年 光文社)に登場するからだ。物語では、大阪城に近接する元砲兵工廠が爆撃によって廃墟と化したその土地で、生き延びるために鉄を食う人間?として出現したアパッチと呼ばれる集団が、大阪市中にそして後に全国に広がる第一歩としてこの土地から出ようとするときに、景気づけの歌として歌われる、軍歌のような革命歌のようなものなのだが、それがこの“梅田ちょいと出りゃ・・・”というところに小松左京の、あるいは大阪人の可笑しさがある。(アパッチとは、そもそもその地域で屑鉄を広い売り歩くことで戦後を生き抜いた人々を称していたという。)



主人公木田福一がまだ人間だったとき、「失業罪」でこの廃墟に「追放」されるところから物語は始まる。失業罪!?
小松左京はこう書いている。
「(憲法)改正が決まると、第九条だけでなく、烏を鷺と言いくるめて、ついでのカマに、旧憲法の基本的人権を、新憲法においては秩序の名のもとに大幅に制限した。新しい時代なのだ―――とエライさんは言った。・・・旧憲法の『権利』という言葉の八十パーセントが『義務』と変わったおかげで、失業は刑法上の罪となった。」

「日本アパッチ族は」1964年に書かれている。近未来小説ということを考えれば、舞台は50年後くらいの日本ということになるだろう。つまり、2014年頃、ほとんど<今>だ。くり返して言うが、これは間違いなく傑作である。それはSFの先駆的作品としてだけではなく、戦後文学の特筆すべき作品だと思う。小松左京は「まえがき」にこう書いている

<こうして、私は「アパッチ」の物語を書こうと思い立った。それはもはやあの屑鉄泥棒のことではなく、無秩序なエネルギーに満ちた、「廃墟」そのものの物語である。同時にそれは小奇麗に整理された今日の廃墟の姿ではなく、廃墟自身のもう一つの未来、もう一つの可能性なのかもしれない。―――この荒唐無稽な、架空の物語は、私の中になおも頑強に生きつづけている「戦後」なのである。>私たちが失ったのは、その「もう一つの未来、もう一つの可能性」としての「戦後」なのではあるまいか。そして、その代わりに手に入れたのが「フクシマ」だとしたら・・・。
戦後史の再点検はこうして始まるべきだろう。


もう一ヶ所引用しよう。
(アパッチ化しつつある記者浦上と既にアパッチ化してしまっている私=木田の会話)
「おれの失ったものが、どんなに大きいか、きみにわかるか?――記者としての仕事、巷で飲む酒、友人、―― 恋人・・・・・・アパッチに何があるんだ?要するに汚らしい“鉄食い”じゃないか?」
「今、アパッチである連中は、たとえ人間であっても、そんなものは味わえなかったか、ほんのちょっとしか味わえない連中やで。―― 一生人間として生き延びても、死ぬまでに結局わずかしか人間的喜びを得られなかったということを悟った連中や――きみらは、中途半端に貧しいだけで徹底的に貧しゅうないから、そんな連中のこと考えへんかったやろ」私は冷たく言い放った。
・・・・・・
「だけど、――アパッチになることは、結局人間としての多くのたのしみや可能性を失う不幸だ」
「不幸?」私は思わず声が高くなった。「きみにとっての不幸は、おれにとっては普遍的状態や。おれたちには、きみがこれからなろうとしている状態が基本であり、出発点なんやで」
まるでマルクスの「ユダヤ人問題によせて」を読んでいるみたいだ。

そして、小松左京がさらに凄いのは、エピローグでアパッチの指導者二毛次郎(ジェロ・ニモ)が後に独裁者として批判されることになると書いていることだ。これは言うまでもなくスターリン批判の反映であり、89年のソ連崩壊とそれに続く東欧圏解体の先取りである。
だから、「日本アパッチ族」は戦後文学の特筆されるべき作品といったが、ここで小松左京は世界史の地平に立っている・・・言い過ぎかなぁ…いや、そのくらいの価値はある、と思っている。
どのような想像力も時代と向き合うところで成立するのだ。


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