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博報堂 須田和博 さん

「博報堂のすごい打合わせ」、面白く読みました。
確かにすごい! と思いますが、<物凄い>とは思いませんでした。何故なら、とても良く分かったからです。同感すること沢山ありました。

読みながらいくつかのことを思い出したので、それをメモしてみましょう。

1. 雑談冗談は大事。
その通り。
雑談冗談にも二通りあると思います。ここにかかれているように<場>の入り口の空気を作ったり、頭の働きを柔らかくしたり。
もう一つの雑談は、雑学雑情報に類するもので、こちらは時により結構深いものがあります。
2. 私が入社したころ(1964年ころ)のTBSは「教養」というより「雑学」の大家がひしめいていました。例えば、時の中国共産党中央委員会政治局常務委員を序列順に全員言えるとか、アメリカの州の名前をアルファベット順に並べるとか、などなど。それが何の役に立つかと言えば何の役にも立たないけれど、そういう話題の時に拮抗して何かを発言するというのは、何かを鍛えられているという感じがしたものです。
3. それは間違いなく当時のTBSの強さの源泉だったと思います。ひょっとしたら、採用担当者はその辺を見越して人選していたのかもしれません。だって、ラジオ、テレビで大事な感性は、研ぎ澄まされた鋭敏なものよりごった煮雑炊の中から出汁をとるようなそういう感覚が必要だと、出来たばかりのメディアの本性を見抜いていたように思うのです。思い起せば、入社試験で30ページ近いペーパーテストがありました。
4. TBSが1980年あたりから低調になったのは、そうした<雑力>の衰退だったのだろうと思います。その意味で、雑学とは奥の深いものであると思います。博報堂の雑談も、実はただの雰囲気づくりではなく、<雑>の根っこにある何かを大事にしているのではないかと思いました。
5. 次に思い当たったのは、1980年代後半から、メディア企画部門に異動し、民放連や郵政省/総務省の会議に出るようになった頃のことです。こうした会議は、<会議>であって<打合せ>ではありません。
6. 特に、役所の場合は重要な案件ほど事前の根回しが出来ていて、座長には進行表が用意されています。役人は、事務方という位置づけで会議の委員ではありません。何故ならば、諮問案件を審議するのは委員だからです。けれども、政策を遂行する上で形式的に必要な審議会了承に至る手順段取りは、もちろん全て事務方が決めます。
7. 稀に異論が出た場合も、次の会合までに官僚が調整し予定調和の範囲を超えないようにします。
8. 民放連の場合はそれほど形式的ではありませんが、よくも悪も<言いっ放し>で終わることが多かったように思います。発言者(民放連の委員会の委員は各社社長です)にとつて「言っておいた」ということが大事なのです。
9. 私が民放連や総務省の会議の進行とりまとめの役回りを担当したのは、2000年ころからの「地デジ」論議でした。
10. 民放連の場合は、「地上デジタル放送特別委員会」(デジ特)の下部機構である「地上デジタルテレビ放送専門部会」(テレ専)の部会長を6年担当しました。
11. テレ専はキー局5、大阪2、名古屋2の他各ブロックから系列バランス地域特性などを考慮して委員を構成します。最終段階では、北海道、東北、東海、信越、中四国2、九州2、という構成でした。
12. 何故、地域構成を書くかと言えば、民放連とはローカル局のための組織であり、ローカルをどう集約するかということが最大のテーマだからです。
13. 「地デジ」というテレビ放送史上最大の難問は、ローカル局の合意を如何に形成するかという一点にかかっていました。その議論の場はテレ専で、デジ特でもかなりの議論があることはありましたが、テレ専であらゆる論点を出しておくことが何よりも重要でした。
14. さて、部会長の仕事は何かと言えば、最初にいくつかのことを宣言しました。
① 「地方局委員は東京の情報をメモして戻って経営に伝えることが仕事だ」としばしばいわれているが、この部会ではそれを許さない。出席者は必ず発言すること、テーマごとに発言を求めます、②この会議は、時間が来たら終わるというものではないので、会議終了予定時間に合わせて帰りの飛行機や列車を予約しないこと。大事なことは、全員が自分の考えあるいは疑問を出すことです、など。
15. それから大変でした。キー局同士は別の場を作って発言機会を設け、部会はローカルのための会議とすることを明確にしました。
16. また、ローカルの委員は、部会の議論を自社に報告するだけではなく、地域の担当者にも伝え、且つ地域での意見交換をすることを求めました。
17. でも、こうした会議でも冒頭の数分は雑談です。一番多い話題は、「総務省って全く分かっていない」とか「NHKって何なんだアレは」とか、民放にとって共通の気分になるような話題が多かったと思います。
18. 6年間の総括でいえば、テレ専は大成功でした。腰が引けていたローカル、いつも東京に一言言いたい阪名、なども「自分たちの議論が地デジを動かしている」「この議論が上のデジ特を通して総務省の会議に反映される」という手応えを感じていきました。
19. 地デジは国策だから国の支援があって然るべき、「官民一体」などとこっちから言ってはならない、自力でどれだけできるかを示すのがまず先だ、などなど。
20. つまり、テレ専は「会議」ですが<ホウ・レン・ソウ>の会議ではなく、発言質疑議論の場でした。打合せの雰囲気を取り込んだ会議と言えるでしょう。
21. 総務省の地デジ論議はこうはいきません。総務省の会議も二重構造で、上部は「全国地上デジタル推進協議会」、その下部に「総合推進部会」「技術部会」「経費積算部会」という構造でした。「総合推進部会」は他の二部会の議論を受けて議論し、デジタル化の方策を上にあげるという位置づけで、その部会長というのは地デジのすべてを論点にして整理し方向付けるとう役目になります。この部会長は結構大変でした。何よりも、民放という共通言語の通用する構成ではなく、NHKとどう向き合うかという難問がありました。そのうえ、上部の協議会は放送業界だけではなく、通信、メーカー、その他多様な業種の代表で構成されていました。ただ、民放連のデジ特の委員長が協議会の会長でしたから、コミュニケーションに問題はありませんでした。
22. 会議の運営に限って言えば、ここで私がやったことは、「地デジの推進は行政の政策課題であるのだから、役所の皆さんは事務方であると同時に委員として審議に参加するべきだ」と言い、そのようにしたことでした。但し、彼らは委員としてほとんど発言しませんでした。少なくとも、議事録に残るようなことはありませんでした。
23. ついでに、NHKに意見を求めると毎度「民放さんは意見がまとまっているのですか。民放の意見がまとまってから、こちらの意見を言います」と言っていました。
24. 毎会の部会の最後に「部会長とりまとめ」という<儀式>がありました。ともかく、本日の議論の要点はコレコレだから、それを<上>にあげます、ということで会議が終わります。2時間あるいはそれ以上の議論の要点を外さず、しかも全員から異論が出ないように<その場>で<生>で仕切るのはやはり緊張しました。
25. でも、出来るだけ平場の言葉で冗談と雑語(談とまではいかなくても)を混じるようにしました。これは、何かの計算があったわけではなく、ほとんど私の気質の問題だったと思います。
26. ときには、「本日はとりまとめ不可能なので、取りまとめないまま上にあげます」と言ったこともありました。「部会長取りまとめず」でした。
27. 事務方が作ってきた進行案を随分手直ししました。
28. ともあれ、地デジは政策として打ち出した総務省も自分で感心するほど”奇跡的”にうまくいきました。
29. その中で、私が総務省や民放連の場で関わった経験、特に会議進行の経験は実に面白くもあり色んな思いがあります。その後、TBSの中で会議を仕切る立場に立つことはありませんでしたので、その経験がどれほどのものかを事例として示すわけにはいきませんが、今でも色んな会合での議論に立ち会った時に、大概の事には驚かなくなりました。

「博報堂のすごい打ち合わせ」を読みながらとりとめもなく思い出したことをメモしてみました。こんなことを思い出させるのですから、この本は面白い本なのだと思いました。
執筆した皆さんお疲れ様でした。
博報堂のすごい打ち合わせがこれからも続くことを祈ります。

アッ、一番感心したのは壁がホワイトボードになっていることでした。これ凄いね、いいね。
それから、画にする図式化する、というのはとても良く解ります。
例えば、パワポが出てから私のプレゼンが全く変わりました。私の場合は、概念・観念を構造化するツールとしてのパワポは圧倒的に優れた道具でした。もともと数学は得意でなかったけど、平面幾何は嫌いじゃなかった、そんなことも思いました。学生時代のノートも文章ではなく、キーワードや基本概念を矢印や記号で結ぶという方法でした。そういう私にとっては、パワポ万歳でした。

余 談
私が好きな作家の藤原伊織氏は、もちろん大手代理店に席を置いていたわけですが、彼の小説に登場する代理店の世界は、「すごい打ち合わせ」の博報堂の世界とは少し違うようですね。博報堂にいたら、もっと長生きしたかもしれないけれど、あんなに面白い小説を書かいたでしょうか。生活者の感覚視点を大事にする博報堂は、ああいう破滅型の人に向いてないように思いました・・・どうかな?


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