HOME > Special > <放送人ブログスペシャル> 前川英樹 「国体論 菊と星条旗」を読んで、いろんな本をあれこれ連想し、再読したり買ってみたり。最大の論点=政治課題は<対米自立>であるとして、それはナショナリズムとどう関係するのか、であろう。

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都心に出る間の電車内は、格好の読書時間だ。
今月読んだ本。白井聡「国体論 菊と星条旗」、加藤典洋「どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ」、菅原潤「京都学派」。読み始めた本。絓秀実「革命的な、あまりに革命的な」。
本の連鎖反応は楽しい。
本を買うのはもうやめよう、家にある未読本で十分だと思いつつやっぱり買ってしまう。


フト書店で手に取った「どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ」のページを繰っていて、学生時代に難渋した「関係の絶対性」(吉本隆明)の一言の意味が、氷解するように腑に落ちたのは不思議だった。あの頃、それを読み解くために「キリスト神話」(ドレウス)まで古書店で探したのだった。書架のどこかにあるだろう。


「国体論」で白井聡は、戦前と戦後の日本の政治過程を対比的に分析することで、現在の日本が問われるべき課題は何かを明確に解き明かしている。戦後政治を政体ではなく<国体>と認識することで、構造としての戦後政治が剔抉される。
白井氏は、政治の構造的認識を示しつつ近代日本の政治史の主要な論点をほぼ語りつくしていて、私の関心のありかは概ねカバーされている。特に、北一輝の政治思想、日本資本主義論争(講座派/労農派)、「転向」の問題などを括りだして論じているのは流石と思わせるが、中でも戦後左翼運動の究極の行為を「東アジア反日武装戦線」に見ているのは慧眼であろう。大道寺将司の句集「棺一基」に思いが至る。一般的にはそれより前の<連合赤軍/あさま山荘事件>を戦後左翼の終焉とする見方が多いのだ。この視点から、スターリン批判から60年安保闘争に至る過程で<新>左翼が登場した時に「安保条約改定は対米従属・植民地化の強化ではなく日本帝国主義の自立過程だ」という認識を彼らが持つに至ったその意味について、さらに踏み込んで論じられるべきだろう。ここで、絓秀実「革命的な、あまりに革命的な」に連鎖する。今でいえばリンクだ。


 白井氏の問題意識と論理展開に沿って言えば、戦前の政治思想が残した課題として、「近代の超克」や「世界史的立場と日本」で語られた問題あるいは日本浪漫派の問題は、国体論との関係として近代日本政治(思想)史として改めて読み解かれなければならないのではないか。しかし、それは著者の問題というより、私の問題である。
 というわけで、「京都学派」(菅原潤)に手を出し、「革命的な、あまりに革命的な」(絓秀実)のページを開いたところである。
 いずれにせよ、最大の論点=政治課題は<対米自立>であるとして、それはナショナリズムとどう関係するのか、あるいは自衛権及び自衛の戦力をどう考えるのか、であろう。


因みに、「どんどん沈む日本を愛せますか」(内田樹 高橋源一郎 )について、以前こんなことを書いている。(2012.7.TBSメディア総研あやとりブログ「せんぱい日記」)
<3.11>を戦後という物差しではなく、近代という目盛で考えることに全く同意。その上で、55年体制というOSが疲弊して機能不全だということも、そのとおり。
と思っていたら次の会話の一言に唸ってしまった。
高橋: うん。これは大政奉還するしかないんじゃないの(笑)
内田: ・・・「革命」とか「大政奉還」とか。それくらい大きな枠組をとって考えないと、どこに向かうべきか、わからないよ。
高橋: もっともリアルな革命は、そっちだよね。
・・・(略)・・・
内田: 戦後66年経って、天皇制の政治的意味を、これまでの右左の因習的枠組みから離れて、自由な言葉遣いで考察するとしたら、今だよね。
「大政奉還」かぁ・・・!?!
対談というのは、話があちこち飛ぶというのが面白さの一つだし、ましてこの二人の知的会話は刺戟に満ちてどんどん読めたが、これにはビックリ。天皇制はほんとにまじめに考えるに値する、日本の根っこにあるテーマだと思うし、「天皇とアメリカ」(吉見俊哉/テッサ・モーリス・スズキ 集英社新書 2010)も面白く読んだけど、「大政奉還」ねぇ・・・これは凄いや。

もう一つ。1年前にはこんなことを書いていた。
[2017.5.14(日)それにしても、現憲法の第一章は何故<天皇>なのだろうか。] 放送人ブログ前川日記
最近の私の内部の<論点>
※ 近代のモデルを資本主義と民主制という西欧型システムを原型とするならば、その起点にある<市民革命>のありかだが問題だ。例えば日本の近代の問題は、<市民革命不在の資本主義>という歪みあるいは屈折から抜け出せないままに過ぎた150年なのである。
※ しかし、それは歪みや屈折なのだろうか。アジア的あるいは非西欧の近代化はありうるか(ありえたか)
※ そう考えると、かの!「講座派対労農派」という構図が、何の有効性も持たないままに忘れられようとしているのだが、そこには結構重要な論点が潜んでいたのかもしれない。
※ 明治維新とは何だったのか?
※ それにしても、現憲法の第一章は何故<天皇>なのだろうか。
※ 天皇制の継続が、敗戦国と戦勝国の共通の政治的判断だったとして、やはり天皇のあり方をまず規定しないと、憲法として機能しなかったのだろう。象徴天皇制と戦後民主主義は、根の深い関係なのだ。憲法は、日米共同の傑作であろう。
※ その意味を改めて考えよう、というのが天皇の退位の意向表明(お言葉)だった。それは、かなり高度な政治的意味を持っている。天皇の政治的行為の禁止の問題とレベルが違うと思う。
※ ・・・ということを思いつつ北一輝と北一輝論を読んでいる。  
北の思想と<天皇機関説事件>との関係、<事件>との関係ではなく<思想の磁場>として考えると何が見えるだろうか。
渡辺京二の「北一輝」は間違いなく一級の書、僕にとっては傑作だ。

繰り返すが、本の連鎖反応は楽しい。
本を買うのはもうやめよう、家にある未読本で十分だと思いつつやっぱり買ってしまう。


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