HOME > Special > 「日韓中テレビ制作者フォーラム」光州大会韓国PD連合へのお礼

Special

韓国PD連合会
会長 柳池烈 様

韓国PD連合会のご尽力により、第18回「日韓中テレビ制作者フォーラム」光州大会が順調に終了したことに、心より御礼申し上げます。
私個人としては、韓国でのフォーラムは慶州、釜山に続いて3回目ですが、韓国の秋はいつも美しい。鮮やかに色づいている樹木の葉と高い秋の空、そして木漏れ日。心に残る景色です。
今年も、その美しい秋に開かれたフォーラムは、忙しくしかし充実した4日間でした。
韓国PD連合会の運営、進行には、創意工夫が随所に見られ見事でした。また、ホスピタリティーの面でも心配りが感じられました。
特に、字幕の翻訳と同時通訳が充実していて作品理解に大きく貢献していました。従来に比べ格段にレベルが上がったと思います。間違いなくフォーラム成功の大きな要因でした。
個別の番組評価については様々な意見があるでしょうが、私たちの間では「三代 延辺娘の東京定着記」を高く評価する声が多くありました。国家、民族、家族、文化の関係という極めてデリケートな問題を、優しく温かい視線で切り取ることで、そこにある困難な問題の根の深さを逆に感じさせる大変優れた番組だったと思います。日本に8万人もの朝鮮族の人々がいるということを日本の参加者は誰も知りませんでした。その事実だけでも刺戟的でした。
また、シンポジウムのテーマも時宜を得たものであり、スピーカーの発言も興味深いものがありました。もう少し時間があるともっと充実したものになったでしょう。
一つだけ残念に思ったことを書いておきましょう。
今回のテーマは「新しい共同体づくりと市民参加」でした。私が開会あいさつで触れたように、このテーマは光州で開かれるフォーラムだからこそ相応しいし、そこに込められた韓国メディア関係者の熱い思いを私たちは理解したつもりでした。そのため、今回日本からの参加者には光州事件記念館を是非見るように、と強く勧めたのでした。しかし、日程の都合でしょうか旧市庁舎を外から見るだけで、あの優れたアート感覚で展示された記念館内部を見ることができませんでした。資料として頂いた光州事件の記録を帰りのバスで読んだ人たちは、「記念館の展示を観たかった」と言っていました。多くの日本人が5.18.記念館を見るべきでしょう。個人的体験を付け加えれば、私が学生時代の1960年代に、韓国学生は当時の李承晩政権に激しく抗議したことに刺激を受けました。あの時代の民主化運動が地下水脈のように光州事件に、そして現在につながっているのではないかと思っています。
準備会での意見交換を踏まえ、政治的意味に直接触れることに配慮されたであろうと思いつつ、私の思いを率直に申し上げました。
とはいえ、光州ビエンナーレを観られたことはとても良かったと思います。

本フォーラムの参加について、日本からの参加者数を20名程度に抑制する方針をお伝えしましたが、結果として29名という数になりました。会員数は抑制したのですが、関係団体等の参加者が想定以上に多く、韓国PD 連合はじめ関係者にご負担をおかけし申し訳ありませんでした。
今後のフォーラムの在り方につきましては、三月に会長名の手紙でお知らせし、準備会で説明した通りです。来年の北京大会にどういう形で参加するかということも含め、放送人の会からお伝えすべきことがあれば、お知らせいたします。

最後になりましたが、今野会長から「出発直前の体調不良で参加できず、大変残念でした。韓国PD連合の皆さまはじめ多くの方にご心配をおかけし申し訳ありません。漸く仕事に復帰したところです。お見舞いをいただきありがとうございました。」とお伝えください、とのことです。

「日韓中テレビ制作者フォーラム」光州大会でのお心遣いに重ねて御礼申し上げるとともに、貴連合会のご発展と皆様のご健勝をお祈り申し上げます。


追伸
 この手紙を書き終わった直後に、貴連盟から光州大会のたくさんの写真が届きました。どの写真にもフォーラムの記録と記憶が刻まれていて、皆様の熱意を感じることが出来ました。有難うございました。

日本 放送人の会
副会長 前川英樹

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